角館のお祭り
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角館のお祭り(かくのだてのおまつり)は、秋田県仙北市の、旧角館町の鎮守である神明社と成就院薬師堂の祭で、毎年9月7日~9月9日に行われる。「角館祭りのやま行事」として重要無形民俗文化財に指定されている。
旧角館町は、佐竹北家の城下町として発展をみた町で、武家の居住する内町と町人の住む外町に別れていた。祭りは外町を中心に行われ、『佐竹北家日記』元禄7年(1694年)に鹿島祭りとして初見されるが、神仏分離令などの影響を受け、明治初期以降紆余曲折を経て、現在では7日に神明社の宵祭り、8日に神明社の本祭りと薬師堂の宵祭り、9日に薬師堂の本祭りが行われている。
角館のお祭りの山には置山と曳山があり、置山は神明社鳥居前と薬師堂前、立町の十字路などに置かれている。
曳山は毎年組み立てられるもので、かつての丁内を単位に運行され、以前は無事に自らの丁内に戻ることを評価したという。参拝や上覧に向かうのが上り山(のぼりやま)、それらの目的を終えた曳山が下り山(くだりやま)とされる。
丁内や曳山は独自にその文化を継承しているため、各丁内の考え方によって同じ物事も違う意見を持っている。
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[編集] 丁内
祭典の三日間、各丁内には張番と呼ばれる管理部署が置かれ、常に数人が詰めている。 現在の町内ではなく、かつての丁内の境界で区分され、かつての丁内名で呼ばれる。現在の丁内名、境界と必ずしも一致するわけではない。
境界は角館町共通の地図などがあるわけではなく、各丁内で伝承されている。
[編集] 張番
張番は各丁内を管轄する存在であり、その管轄している丁内においては必ず張番の指示に従わなければならない。 張番は角館の祭典において最高権力を有している。各張番には年番長と呼ばれる張番運営の責任者がいる。
曳山が丁内で何かをする場合、張番の許可が要る。例えば曳山がどこかの丁内に入りたい場合、張番の許可が必要である。 また、曳山同士が向かい合い、状況妥結が難しくなった場合などは調停に赴くこともある。
張番の仕事は多岐にわたるが、権力を有する分だけその責任もまた大きいため、年番町は曳山の責任者を経験したり、長く祭典に携わっている経験豊富な人が選ばれることが多い。
[編集] 曳山
曳山は角館の祭典初期から存在する九つの丁内(旧九丁内)と、比較的歴史が浅いそのほかの丁内がある。 また、かつては曳山は丁内の所有であったが、現在では中央通りの曳山のみが丁内山であり、他の曳山はその丁内若者有志の管理となる。 かつては存在したが今は合併し無くなってしまった曳山もあるが、比較的大きな丁内が分裂して二つの曳山になることもあった。
[編集] 構造
電線が通る明治期以前は、現在の置山のように大きなものであった。また、曳山はもともと今のように引きまわすものではなく、担ぎ山であった。そのため、今でも前後左右のもっとも太い木は「担木(たんぎ)」と呼ばれている。現在では4つの車が付いている。また、昔は縄で組まれていたが現在では金具が使われてる。
- 人形
- 前人形は「水屋(みんじゃ)」と呼ばれる少し斜めになった部分に乗っている。人形は前方に一体から三体乗せる。勇壮な合戦場面の武者から歌舞伎の助六に至るまでいろいろな場面が表現されている。
- 後ろ人形
- 曳山の後ろには2~5個の酒樽か人形が乗せられている。この人形は特に「送り人形」などと呼ばれ、滑稽な人形が多い。かつて地元の高校が夏の甲子園秋田予選決勝に進出したときは立派な球児がお目見えしたこともあった。
- もっこ
- 人形の後ろ側に標山が載っている。黒木綿で作られたその部分を「もっこ」という。
- 欄干
- 舞台の周りを囲っている。欄干には紅白が巻かれている。昔は木を朱色や白く塗ったものであった。
- 舞台
- 曳山の前部は小さいながら舞台になっており、踊り手がそこで手踊りを披露する。また、先導が曳山を移動させる時にもそこに乗る。
- 後部
- 後部にも小さいながら舞台のような感じになっているが、ここには酒やそのほか曳山で使用する道具などが乗せられている。しかし、もっぱら乗っているのは次世代を担う小若たちである。小若の特等席であるともいえる。
[編集] 役職
[編集] 責任者
曳山を統括し、その曳山を運営する上での最高責任者。紅白の襷をかけ、各丁内に3~4名いる。その中に正責任者と副責任者がおり、曳山の運営を任される。
[編集] 交渉員
交渉員は、いわゆる外交員のことである。後述する「交渉」は交渉員と責任者のみが行える。
[編集] 先導
曳山を動かす先導の役割を担う。曳山の前部にある舞台の上で笛と自らの声で若者を統率し、曳山を動かす。 最も目立ち、もっとも粋に見えるため先導を志す若者は多い。先導は正に花形である。
[編集] 交渉
曳山と曳山が向かい合うと、交渉員と呼ばれる黄色の襷をかけた若者によって「交渉」と呼ばれる話し合いが行われる。交渉では各々の曳山の現状確認や、道の優先権を主張しあうが、原則として上り山に通行の優先権がある。交渉は原則二名にて行われ、そこで話し合われたことが曳山の意向となる。
また、丁内を賑やかしている曳山が各家々に手踊りを披露する際も、交渉員が始めにその家を訪ね、曳山の意向を伝える。
基本的に曳山の意向は交渉員を通して伝えられる。
[編集] 激突
曳山同士が交渉を重ねても、双方が下り曳山の場合などはお互いに通行権を主張し、話が折り合わないことがある。そうなった場合、交渉は決裂し、激突(山ぶつけ)に及ぶこともあり、さらにそれが時として深夜にまで及ぶこともある。
激突は上になったほうが勝利などというものでは無く、交渉によって決着する。交渉によって解体され、状況が打開される。その後は各々の目的に向かってさらに曳山を運行する。
激突は激しく情熱的であるが、祭典の中の一場面にすぎない。
曳山が交差などする際、誤って相手の曳山にぶつけてしまった時などは問答無用で激突に突入する事もある。
[編集] 飾山囃子
曳山が運行中は囃子が途絶えることがない。 囃子の一曲一曲に意味があり、何の囃子を演奏しているかでその曳山の状態を表している。
囃子を演奏する楽器は以下の五種類である。
- 横笛
- 太鼓
- 摺鉦
- つつみ
- 三味線
飾山囃子にも流派のようなものがあり、同じ曲でも各丁内で(乗っている囃子の組が違う)微妙に違っている。
- 寄せ囃子(寄せ太鼓)
- 曳山出発のための人集めの際に演奏。
- 上り山囃子
- 曳山の目的に向かう際に演奏。
- 道中囃子(下り山囃子)
- 目的を終えた曳山が演奏する。
- 下り藤
- 目的を終えてから方向転換するまでの間演奏される。元々は辻を曲がる時も使われていた。
- 荷方囃子
- 丁内を練り歩く際に演奏される。
- 神楽囃子
- 激突中に囃されるが、従来は道中を早いテンポで演奏していた。激突中の囃子が変わったのは最近のことである。バカ囃子などと呼ばれることもある。
[編集] 踊り
曳山には必ず数人の踊り手が乗っている。小さな子は3歳ぐらいから、大人になってもおおよそ20代である。
一年を通して稽古に励み、曳山に乗るまでには相当な努力が要る。
祭典では必ず二人一組で踊るが、息のあった踊り手は横から見ると一人で踊っているように見える。二人が重なって見えるためである。
激しいとされる祭典に「静」の美しさを添えている存在である。
[編集] 手踊り
- 拳囃子(奉納の舞)
- 二本竹(奉納の舞)
- 秋田おばこ
- 秋田甚句
- おやまこ
- おいとこ
- 組音頭
[編集] 日程
9月7日
- 神明社宵宮
9月8日
- 神明社本祭
- 佐竹北家上覧
- 薬師堂宵宮
9月9日
- 薬師堂本祭
[編集] 曳山
- 岩瀬若者一同
- 駅通り若者
- 駅前若者
- 大塚若者
- 上新町若者
- 川原町若者
- 桜美町若者
- 下岩瀬町若者
- 菅沢丁内若者
- 西部若者
- 中央通り
- 東部若者
- 七日町若者
- 西勝楽町若者
- 北部丁内若者
- 本町通り
- 山根谷地町旭会若者
- 横町若者