西斗月拳
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西斗月拳(せいとげっけん)は武論尊監修、原哲夫作『蒼天の拳』に登場する架空の拳法。
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[編集] 概要
古代中央アジアから西アジアに広く栄えていた十氏族の一、月氏族が興したと思われる。月氏族はインドから中国に仏教の経典を運び、最も早く仏教を伝えたことが史実である。北斗神拳の代名詞、秘孔突きは西斗月拳の秘孔の術から取り入れられた。北斗宗家の拳は受け技が極められ実戦での戦闘能力がなく、それを北斗宗家稀代の天才・北斗神拳始祖シュケンが西斗月拳の門弟になることによって北斗宗家の拳と融合させ、地上最強の暗殺拳を完成させた。月氏は紀元前3世紀頃から存在するので、北斗神拳よりも歴史は古いと思われる。北斗神拳の狼の血はこの拳から伝えられた。インドでは約五千年前から古代インド拳法(古代インドネシア拳法)が存在することから、西斗月拳の誕生もそれから来ていると思われる。
[編集] 使い手
[編集] 技
技は未詳だが、北斗琉拳(北斗劉家拳)の劉宗武すらも手傷を負うほどの拳力を秘める。また元祖であるがゆえに、経絡秘孔を操る術にかけては北斗神拳と同等か、それを凌ぐ可能性もある。ヤサカ自身が「戦場の拳」と豪語するように、忍び寄っての「暗殺拳」である北斗神拳とは異なり、戦場の混乱の中相手をいかにしとめるかという事に特化した拳法であるようだ。 少年を囮とし、彼に近づいた飛燕を不意打ちで秘孔を突いて捕らえる(この時は手で直接突かず、針状の飛び道具を使用)。その後の飛燕との一騎打ちでも、飛燕を北斗神拳を見切るための試し相手として扱い、死を覚悟し相打ちを狙った飛燕ですらも手傷を負わせるに留まるなど、その実力はいまだ底を見せない。 拳志郎とは、飛燕と戦った後に手傷を負った状態で戦ったが、拳志郎が繰り出した北斗百裂拳を薄皮一枚で見切って、死んだふりをするなど五分に渡り合った。
[編集] 奥義
- 相雷拳
- ヤサカが捕らえた流飛燕に対し「負けはない」と言い放った奥義。後に飛燕との戦いにて使う。それは拳を背に隠して相手に間合いを計らせず、その状態で相手に攻めかかるものだが飛燕の拳で自らも傷つき、一見するとただの相打ちだった。だが、この奥義の極意は事前に複数の秘孔を突き、相雷拳での突きが止めの一撃となるものである。事実飛燕は相雷拳を受けた直後、傷つきながらも立っているヤサカとは対照的に、ヤサカをして「放っておいても衰弱して死ぬ」程の重傷を負った。