西巌殿寺
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西巌殿寺(さいがんでんじ)は、熊本県阿蘇市黒川にある天台宗の寺院である。正式には阿蘇山西巌殿寺という。九州西国霊場第13番札所、九州四十九院薬師霊場第30番札所、肥後三十三ヵ所観音霊場第1番札所、阿蘇西国三十三ヵ所霊場第1番札所
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[編集] 開基
開基には二説あり726年説と1144年説である。 726年説は、天竺毘舎衛国の僧最栄が聖武天皇の勅願を受け、阿蘇山上に上ったとする説である。1144年説は比叡山慈恵大師の徒最栄が阿蘇神社大宮司友孝の許しを得て、阿蘇山上に上ったとする説である。 どちらの説にも共通するのは、阿蘇山の火口の西の巌殿に十一面観音菩薩を安置して、庵を開いたということ、絶えず法華経を読誦したため「最栄読師(さいえいとくし)」と呼ばれたことである。
[編集] 歴史
阿蘇山上に最栄が庵を開いてより、多くの修行僧、修験者が阿蘇山上に集まった。それらの人々は坊舎を建て、厳しい環境の中で修行に励んだ。その数は三十六坊五十二庵と言われ、古坊中といわれる寺院群を形成した。古坊中は現在の旧阿蘇山スキー場一帯の牧野である。伝承では島津の軍勢に焼き討ちされたと伝えられている。 その後、加藤清正公が肥後に入封され、麓の黒川(現在の阿蘇市黒川)に復興されることが許された。麓の黒川に阿蘇山上にあった三十六坊五十二庵が再興され、地名も「坊中」と改められた。それまで、坊中と呼ばれていた阿蘇山上の坊舎跡は「古坊中」と名称が改められた。 明治の神仏分離令により、ほとんどの僧侶は還俗し、三十六坊五十二庵も廃寺となっていった。その中で旧学頭坊を西巌殿寺とし、その歴史を存続させることとなり、現在に至る。
[編集] 阿蘇山観音祭り
阿蘇山西巌殿寺では、毎年4月13日に「阿蘇山観音祭り」が行われる。修験者による火渡り、湯立の荒行が執り行われる。 開催日の4月13日は、明治時代の住職である厨亮俊の命日に因む。 厨亮俊は筑後国御井郡(現在の福岡県久留米市御井)に生まれ、比叡山に上り、修行した。若くして権僧正に補任され、比叡山西塔の寺院の住職となる。廃仏毀釈後の西巌殿寺の住職に請われ、明治9年に晋山した。 明治10年に西南戦争が起こり、阿蘇では農民一揆が起こった。県令より届いた討賊の勅書、旧藩主細川家よりの示諭文を携えて各村を巡回し、一揆などその方向を誤ることの無いよう説いた。それが薩軍に聞こえ、囚われて坂梨(阿蘇市一の宮町坂梨)の酒屋大黒屋の庭先において拷問を受けた。それが元で明治10年4月13日に息を引き取った。その勇気ある行動を称えて有志により西巌殿寺境内に墓所を作り、その墓石に厨亮俊の功績を刻み、毎年4月13日に「招魂祭」を執り行うようになった。 昭和50年代に当時の住職により、厨亮俊の慰霊祭である招魂祭にあわせて、火渡り、湯立て等の荒行を修験者が行う祭りを合わせて行うようになり、名称も「阿蘇山観音祭り」と改めた。
[編集] 年間行事
- 2月3日 節分会星祭
- 4月13日 阿蘇山観音祭り
- 8月16日 地蔵盆 秋彼岸 永代供養会 水子供養会