虹の松原
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
虹の松原(にじのまつばら)は、佐賀県唐津市の唐津湾沿岸に広がる松原。日本三大松原のひとつで特別名勝に指定され、日本の白砂青松100選、日本の渚百選にも選ばれている。玄海国定公園の一部。長さ約5kmにわたって弧状にクロマツの林が続く。海水浴場と隣接することでも知られる。
目次 |
[編集] 歴史
17世紀のはじめ、唐津藩の藩主である寺沢広高が新田開発の一環として、防風林、防砂林として植樹を行った。藩の庇護の下、禁伐の掟(伐採は死罪)はもちろんのこと、燃料としての落葉の採取も厳しい制限が課せられていた。また、藩主の改易や移封により主家が変わっても手厚く管理された。
寺沢広高は、この中に自分が愛してやまない松が7本だけあると言ったというが、どの松と指定されてはいない。これは住民に「もし自分が粗末にした松がその7本のどれかだったら」と思わせることで、全ての松を大事にせざるを得ないように、心理的に圧力をかけたものといわれている。
この松原は、その区域の長さから、藩政時代は「二里松原」と呼ばれていた。明治時代に呼ばれるようになった「虹の松原」の語源とも言われているが、呼称が変わった理由などは知られていない。
1771年には、当時天領となっていたことから、農民の反乱である「松原寄り(虹の松原一揆)」の舞台ともなっている。
明治維新以降は国有林に編入、2007年現在は、佐賀森林管理署が管理を行っている。民有地が僅かに点在するものの、ほぼ全域が保安林に指定されており、現在も伐採は制限を受けている。
[編集] 交通
[編集] 鉄道
[編集] 道路
- 佐賀県道347号虹の松原線(国道202号の旧道。日本の道100選に選出。)
[編集] マツクイムシの被害
- 1960年代、マツノマダラカミキリが媒介するマツ材線虫病の被害が拡大し、マツの大木が次々と立ち枯れる事態となった(外部リンク参照)。
- 対策として、ヘリコプターによる薬剤散布、被害木の伐倒処理が毎年続けられており、松原の維持に多くの費用と労力が掛けられている。
[編集] 平成18年度の対応状況
[編集] 虹の松原七不思議
虹の松原に関する不思議な言い伝え等を七つ並べたもので、市民団体等が歴史の学習活動等で使うことがある。しかし、藩政時代に植林されたにもかかわらず豊臣秀吉が絡むものなど、事実として誤りでしかないものもあり、内容も一定ではなく変遷がある。