藤原敦宗
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藤原 敦宗(ふじわら の あつむね、長久4年(1043年) - 天永2年9月16日(1111年10月20日))は、平安時代後期の官人・漢詩人・文人。藤原北家真夏流(日野家)出身。従三位藤原資業の孫。従二位参議藤原実政の長男。母は式部大輔藤原国成女。兄弟姉妹に藤原清宗・勝源・藤原保宗(藤原実家養子)・藤原有信室・藤原公実室がいる。子に藤原宗兼・藤原有成がいた。
後三条天皇の治世中に蔵人になり、対策に合格して任官したが、寛治2年(1088年)伊豆国に流刑になった父に連座して解官された。その後赦免され、文章博士・式部権大輔・大学頭・東宮学士などを歴任し、正四位下丹波守に至った。一方で摂政藤原忠実の家司になり、その命を受けて文章の制作に従事した。天永2年(1111年)9月16日、69歳で卒去。「才智は頗る傍輩に勝り、名儒と謂うべし」(『中右記』)と評された。彼の詩文は『本朝続文粋』『三十五文集』『本朝無題詩』『中右記部類紙背漢詩集』などに20数首残る。