藤原宗円
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藤原 宗円(ふじわら の そうえん、長久4年(1043年) - 天永3年(1112年))は平安時代後期の人物。のちに下野を地盤に活動した宇都宮氏の祖とされる人物。父は藤原兼房。子に八田宗綱(中原宗綱、宇都宮宗綱)。宇都宮氏初代当主と目される。「粟田宗円」とも呼ばれる。
系図の上では、藤原氏北家の道兼流で、道兼の孫の兼房の子とされる。前九年の役の際に河内源氏の源頼義、義家父子に与力し、凶徒調伏などで功績を認められ、下野國守護職および下野國一之宮別当職、宇都宮座主の位を得た。もともと石山寺(現在の大谷寺との説もある)座主であったとも言われ、仏法を背景に勢力を拡大したと考えられている。宗円は毛野氏の支配下にあったと推測される下野國一之宮において、その神職者より上座に座したことが伝えられており、このことから毛野氏の流れを汲む人物(毛野氏への藤原氏の落し種)と推察されているほか、室が益子正隆の娘であったことや、次代宗綱が八田姓とされる点などから、その勢力は下野国のみならず常陸国西部付近(茨城県下館市付近)にも達しており、芳賀氏、益子氏、八田氏をその勢力下に置いていたと推定されている。
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