藤原信家
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藤原 信家(ふじわら の のぶいえ、寛仁2年(1018年) - 康平4年4月13日(1061年5月5日))は、平安時代の公卿。藤原教通の長男で、母は藤原公任女。源師房とともに伯父の関白藤原頼通の養子になる。山井大納言と号した。室にかん子内親王(敦明親王女)がおり、また源麗子(源師房女・藤原師実室)を養女にした。養子に藤原忠綱(頼通5男)。
長元3年(1030年)13歳で正五位下に叙位。長元6年(1033年)従三位になり、長元9年(1036年)従二位。更に同年非参議から直ちに権中納言に任ぜられ、永承2年(1047年)権大納言に任ぜられたが、康平4年(1061年)4月8日辞職し、同年4月13日に出家してその日に薨去した。44歳だった。