薩摩切子
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薩摩切子(さつまきりこ)は、薩摩藩が幕末から明治初頭にかけて生産したガラス細工・カットグラス(切子)である。薩摩ガラス・薩摩ビードロとも呼ばれた。現在は復刻生産されている。
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[編集] 歴史
長崎等から伝来した外国のガラス製造書物を元に、江戸のガラス職人を招くなどして、薩摩藩主島津斉興によって始められ、島津斉彬が集成館事業の一環とした。
大変に先進的な品で斉彬も愛し、大名への贈り物に用いられたり、篤姫の嫁入りの品ともなったが、斉彬の死後、集成館事業の縮小や薩英戦争時にイギリス艦艇による集成館砲撃で被害を受け、また幕末維新から西南戦争へ至る動乱もあって、その技術は明治初頭で途絶える。 その職人や技術は、東京の江戸切子へ、また大阪へと渡っている。
当時の薩摩切子は、現存するものは大変に少なく貴重で、骨董として高価で取引されている。
[編集] 当時の江戸切子との違い
同時期の江戸切子との違いは、江戸切子が透明な硝子(透きガラス)に切子を施したものなのに対し、薩摩切子は色被せと呼ばれる表面の着色ガラスを用いたものであることが挙げられる。特にその色の層は厚く、これに鋭角で大胆な切子を施す事によって切子面に色のグラデーションが生まれる。これが薩摩切子の特徴で「ぼかし」と呼ばれるものである。
[編集] 復刻
1985年(昭和60年)代以後、薩摩切子の復刻が試みられ成功し、生産・販売されている。 現存する古い薩摩切子を忠実に再現した復元・復刻物や、その特徴を踏まえた製品や新たに創作した品も生産されている。
1989年(平成元年)薩摩ガラス工芸に対して鹿児島県伝統的工芸品の認定。 (技術が継続せず復刻された為、国の伝統的工芸品には認定されていない。
[編集] 産地
主な生産地は鹿児島県。 素材となる色ガラス層の厚い被せガラス生地の生産からの切子細工までの製作・復刻が、島津家の島津興業 監修・直営の薩摩ガラス工芸の他、数社で行われている。 切子の加工工程は、色ガラス層を通すとグラインダーを目視しにくいため、高度な技能を要する。
また大阪府では、同地の大手硝子問屋カメイによる復刻商品化が試みられた。のち廃業。関係していた下請け職人らが切子作家として「薩摩切子の復刻に関わった技術を用いて。」という形の作家活動や教室が行われている。ただし現在では、素材の生地を東京等外地からの購入に頼るため、被せ・ボカシは薄い。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 薩摩ガラス工芸株式会社(島津家・島津興業)
- NHK 美の壷 File14 切子 - 平成18年7月放送。古い江戸切子と薩摩切子の解説