蕭宝巻
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政権 | 斉 |
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廟号 | (なし) |
諡号 | (なし) |
姓・諱 | 宝巻 |
生没年 | 483年 - 501年 |
在位期間 | 498年 - 501年 |
父 | 明帝 |
母 | |
陵墓 | |
元号 | 永元:499年 - 501年 |
蕭宝巻(しょう ほうかん、483年 - 501年)は、、中国の南朝斉の第6代皇帝(在位:498年 - 501年)。字は智蔵。明帝の息子。弟に和帝がいる。死後に諡号や廟号は贈られず、東昏侯(とうこんこう)と呼ばれる。
498年、明帝の崩御に伴って即位する。明帝の葬儀の際、太中大夫の羊闡なる人物が激しく慟哭するあまり、帽子が脱げて禿頭を露出させたのを見るや、大笑いしたという逸話が『南史』に伝わる。
即位後は明帝の遺命により皇帝の補佐を命じられていた6人の重臣を殺害し、独裁体制を作ると奸臣を近づけ、民衆から収奪しを享楽的な生活を送る暴君であった。内向的な性格であり、大臣との接触を避け、多くの宮殿を造営するなどして国家財政を破綻させた。また通行人を馬蹄で踏みつける奇行があり、妊婦もその対象となり母子共に命を落とす事件を頻発させた。後宮では幼馴染であった潘氏を寵愛し、足の小さかった彼女のために庭園の歩道を黄金で作った蓮の花で敷き詰めたと言う逸話が残されている
このような皇帝に不満が続出し、心ある人々により諫言が行われるが、逆にそれが元で殺害される者もあり、ついには反乱の発生となった。その反乱も予州刺史・蕭懿の活躍により鎮圧されるが、蕭懿も殺害され、蕭懿の弟である蕭衍(のちの梁の武帝)が、蕭宝巻の弟で荊州刺史の蕭宝融(和帝)を奉じて挙兵する。この状態でも宮廷で享楽的な生活を送っていた蕭宝巻は、衛兵に殺害されてしまう。
東昏侯というのは死後に追封されたものであるが、東方の暗君という意味がこめられている。
[編集] 余話
『水滸伝』や『金瓶梅』に登場する美女潘金蓮の名前は、潘氏の故事に由来する。
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