花房正幸
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花房正幸(はなぶさまさよし 大永4年(1524年?) - 慶長10年(1605年))は宇喜多氏の家臣。又七郎、越後守、道悦。子に花房正成。生年は1526年説もある。越後守。
家系は常陸国久慈郡花房郷を領した足利氏の一門、上野氏の庶流 花房氏という。
当初は赤松氏に仕えたが、天文年間には、宇喜多氏に属し、 宇喜多直家の家臣として、その創業を支えた。智勇兼備の名将と言われ、 弓の名手として、海賊の頭領を射抜いて撃退した逸話や、 和歌に堪能で、細川幽斎から古今の伝をうけた程であったという話が伝わる。
晩年は嫡子・花房正成の領地、備中高松に隠棲し、同地で没した。