芝山重豊
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芝山 重豊(しばやま しげとよ、元禄16年1月25日(1703年3月12日) - 明和3年8月6日(1766年9月9日))は、江戸時代中期の公卿・歌人。初名は季憲。藤原北家高藤流勧修寺家支流の芝山家当主。正三位図書頭高丘季起の次男。母は家女房。右近衛権中将高丘季敦の弟。参議芝山広豊の養子となる。正室は治部卿山井兼仍女。子に歌人として名高い権大納言芝山持豊がいる。
元文元年(1736年)12月29日、従三位に叙せられる。その後、正二位権中納言に至る。宝暦8年(1758年)、尊王派の神道家竹内式部門人の公家衆が処分される宝暦事件が起こり、重豊自身も事件に関係していたが、結果的に処分を免れた。多田南嶺の和歌の師。明和3年(1766年)8月6日、64歳で薨去した。