耶馬渓
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耶馬渓(やばけい)は、大分県中津市にある山国川の上・中流域の渓谷である。
景勝地として知られており、大正時代には新日本三景の一つに選ばれている。1923年(大正12年)に名勝に指定され、1950年(昭和25年)に一帯が耶馬日田英彦山国定公園に指定された。
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[編集] 概要
溶岩台地の浸食によってできた奇岩の連なる絶景で、1818年(文政元年)に頼山陽がこの地を訪れ、当時の「山国谷」という地名に中国風の文字を宛て、「耶馬渓天下無」と漢詩に詠んだのが、耶馬渓という名前の起こりである。
頼山陽が耶馬渓と命名したのは、現在単に「耶馬渓」と呼ばれている辺りだけであるが、その後周辺の渓谷についても「耶馬渓」という名称が使われ、本耶馬渓・裏耶馬渓・深耶馬渓・奥耶馬渓などと称している。
なお、「山国谷」に「ヤマ」と「クニ」の音が含まれること、「耶馬」は「邪馬」と字形が似ており「ヤマ」とも読めることから、邪馬台国の比定地をこの地に求める説もあるが、上述のように耶馬渓という名前は江戸時代まではなかったのであり、他の面からの研究によってもその可能性は低いと考えられている。
[編集] 地域別の主な景勝
[編集] 本耶馬渓
本耶馬渓(ほんやばけい)は、青の洞門や競秀峰を中心とする山国川上流一帯。青の洞門は羅漢寺の禅海和尚が、参拝客が難所を渡る際に命を落とさないよう、ノミ一本で掘り抜いたトンネルで、菊池寛が『恩讐の彼方に』を上梓したことで、全国にその名を知られることになった。
「青の洞門」より500mほど下流にある耶馬渓橋は、全長116m、日本最長の石造アーチ橋である。アーチは12mスパンでやや偏平であり、その西洋的な外観から「オランダ橋」との愛称で呼ばれる。この近辺には他にも石造アーチ橋が多くかけられている。耶馬渓橋の1.5km上流には、橋長89mの三連アーチの羅漢寺橋が、また、さらに4km上流には橋長83mの馬渓橋がある。
[編集] 深耶馬渓
深耶馬渓(しんやばけい)は、山国川支流山移川支流に位置する渓谷。一目八景が有名。一度に海望嶺、仙人岩、嘯猿山、夫婦岩、群猿山、烏帽子岩、雄鹿長尾嶺、鷲の巣山の八つの景色が眺望できることから名付けられた。近くには鴫良、深耶馬渓などの温泉がある。
[編集] 裏耶馬渓
裏耶馬渓(うらやばけい)は、金吉川上流の渓谷で玖珠町との境界に位置する。浸食を受けた岩壁が屏風のように屹立する。近くには伊福温泉があり、温泉水を使って養殖したスッポン料理が名物。
[編集] 奥耶馬渓
奥耶馬渓(おくやばけい)は、山国川上流に位置する。猿飛の景と名付けられた猿飛千壺峡が知られる。耶馬渓猿飛の甌穴群は天然記念物に指定されている。
[編集] 椎屋耶馬渓
椎屋耶馬渓(しややばけい、しいややばけい)は、宇佐市と隣接する駅館川支流の温見川源流付近の渓谷。近隣には岳切渓谷(たっきりけいこく)という谷底が一枚の大きな岩盤でできた渓谷があり、椎屋耶馬渓に含められることがある。
[編集] 津民耶馬渓
津民耶馬渓(つたみやばけい)は、山国川支流の津民川に位置する渓谷。手付かずの自然が残る穴場。
[編集] その他の地域
かつてはこの他に羅漢寺耶馬渓(現在では本耶馬渓に含まれる)、麗谷耶馬渓(うつくしだにやばけい、現在では深耶馬渓に含まれる)、東耶馬渓、南耶馬渓があり、これら十箇所の渓谷は総称して耶馬十渓と呼ばれていた。現在、この4つ呼び方はほとんど使われていないために、耶馬十渓という呼び方をすることはまずない。
[編集] 日本各地の耶馬渓
全国には耶馬渓と称される渓谷が多数存在する。主なものは以下の通り。
- 日高耶馬溪(北海道日高支庁)
- 蝦夷の耶馬渓 → 定山渓(北海道石狩支庁)
- 東北の耶馬渓 → 抱返り渓谷(秋田県)・猊鼻渓(岩手県)
- 関東の耶馬渓 → 吾妻峡(群馬県)高津戸峡(群馬県)
- 信州の耶馬渓 → 内山峡(長野県)
- 関西の耶馬渓 → 香落渓(三重県)
- 摂津の耶馬溪 → 摂津峡(大阪府)
- 山陰の耶馬渓 → 立久恵峡(島根県)
- 筑紫耶馬渓(福岡県)
これらは各地の奇岩の景を耶馬溪になぞらえて名付けられたもので、耶馬渓が天下の奇勝として世間に遍く知れ渡っていた証左である。
[編集] 関連項目
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日本三景 | 丹後の天橋立 - 陸奥の松島 - 安芸の宮島 |
新日本三景 | 大沼 - 三保の松原 - 耶馬渓 |
その他 | 林春斎 |