罷免
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
罷免(ひめん)とは、任命権を持つ者が、法令の規定に基づいて配下の公務員の職を強制的に免ずることをいう。通例では「罷免」という表現は、単に役職(配置)のみならず公務員としての身分(官職)の剥奪も同時に行われる場合に用いられる。公務員自らの意思により職を辞す場合は「辞職」または「辞任」と呼ばれ、罷免とは区別される。「罷免」は国務大臣・裁判官などの政治的任用による職に使われる用語であり、一般の公務員については「免職」を用いる。
目次 |
[編集] 国務大臣の罷免
内閣総理大臣は、日本国憲法第68条の規定に基づき、国務大臣を任意に罷免することができる。罷免する理由としては、全会一致を要する閣議において閣議決定・閣議了解の採択に反対する国務大臣が出た場合にその者を罷免し閣内意思の一致を図る例、あるいは総理が「ある大臣に国務大臣たるにふさわしくない行為があった」と判断し辞任を促したものの当該大臣が非を認めず自主的辞任を拒んだため罷免する例、などがある。
大日本帝国憲法の下では、国務大臣の任免は内閣総理大臣の権限事項ではなく天皇の専権事項(第10条)とされていたため、閣議案件に反対する大臣がいた場合、全会一致になるように説得させるか、内閣総辞職するかのいずれかを選択するしかなかった。特に軍部は、軍部大臣現役武官制が存在していた時期には、その制度を通じて陸軍大臣・海軍大臣の選任に介入したため、軍部の意向に反する政権の維持は事実上不可能になっていた。
こうした反省から、新憲法では国務大臣の任免権は内閣総理大臣に帰属するものとされた。新憲法と旧憲法における、内閣総理大臣の権限の最大の違いといわれている。
辞令上、依願免官が「願により本官を免ずる」と表記されるのに対し、罷免は「本官を免ずる」とだけ記される。「罷免する」などのように直接「罷免」という単語が用いられることはない。
[編集] 過去における国務大臣罷免例
日本国憲法下における国務大臣の罷免例は過去4回ある。罷免の実例は少ないが、首相の罷免権を背景として形式上は自発的に辞任させられた事例は多い。これは、実際に罷免権を行使すると、首相の任命責任を野党から批判されるためである。辞任した多くの大臣は首相の出身政党と同じであり、自政党が批判対象にされることを回避するためである。
自発的な辞任ではなく罷免という事態にまで発展することは、首相の明白な意思表示とされるため、罷免された閣僚はその後の政治家人生に大きな影響を与えるとされる。現在まで、閣僚を罷免された政治家が再入閣した例はない。
年月日 | 内閣 | 名前 | 役職 | 主な理由 |
---|---|---|---|---|
1947年(昭和22年)11月4日 | 片山内閣 | 平野力三 | 農林大臣 | 米価問題とGHQの意向 |
1953年(昭和28年)3月3日 | 第4次吉田内閣 | 広川弘禅 | 農林大臣 | 首相懲罰動議採決欠席 |
1986年(昭和61年)9月9日 | 第3次中曽根内閣 | 藤尾正行 | 文部大臣 | 韓国併合に関する見解 |
2005年(平成17年)8月8日 | 第2次小泉内閣 | 島村宜伸 | 農林水産大臣 | 衆議院解散決定への署名拒否 |
[編集] 裁判官の罷免
裁判官は、日本国憲法第78条の規定に基づき、以下の二つの場合でしか罷免されない。
これは、司法権の独立を保つため、行政機関などの外部の圧力の影響を受けないよう、裁判官の身分保障をするためである。最高裁判所の裁判官は、日本国憲法第79条および最高裁判所裁判官国民審査法に基づき、衆議院議員総選挙の際に国民審査を受け、投票者の多数が裁判官の罷免を可とするときは、その裁判官は罷免される。