織田成純
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
織田 成純(おだ なりとし(しげずみ、しげとし)、延宝4年6月5日(1676年7月15日) - 享保14年11月2日(1729年12月21日))は、大和柳本藩の第5代藩主。尚長流織田家5代。
第3代藩主・織田秀一の次男。母は小出有棟の娘。正室は土方豊高の娘(慈福院)。子はなし。通称は源三郎、右京、左京。初名は秀将、長教、秀俊、成純、信紀。官位は従五位下豊後守、播磨守。
延宝4年(1676年)6月5日誕生。貞享5年(1688年)7月28日異母兄秀親の養子となる。同年9月18日将軍徳川綱吉に御目見する。宝永6年(1709年)4月12日養父織田秀親が殺害されたため、家督を相続した。同年4月15日従五位下豊後守に叙任する。公家接待役や京都火消役などを務めた。享保9年(1724年)12月3日隠居し、兄の子で養嗣子の織田秀行に家督を譲った。享保14年(1729年)11月2日もしくは12月3日に54歳で死去した。法号:竜徳院殿円厳宗澄大居士。麻布の天真寺に葬られた。 以後、同寺は柳本藩織田家の当主の墓地の一つとなった。
|
|
|
|
|
|