綿業会館
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情報 | ||||
旧名称 | ||||
用途 | 社交クラブ | |||
旧用途 | ||||
設計者 | 渡辺節建築事務所(渡辺節、村野藤吾) | |||
構造設計者 | ||||
施工 | 清水組(後の清水建設) | |||
建築主 | ||||
事業主体 | ||||
管理運営 | 日本綿業倶楽部 | |||
構造形式 | 鉄骨鉄筋コンクリート造 | |||
敷地面積 | ||||
建築面積 | ||||
延床面積 | 12,743m² | |||
階数 | 6階建て、地下1階、塔屋付 | |||
高さ | ||||
着工 | ||||
竣工 | 1931年(昭和6年) | |||
開館開所 | 毎月第4土曜日午後2時30分より館内見学可能(事前予約、有料) | |||
改築 | ||||
所在地 | 〒541-0051 大阪市中央区備後町2-5-8 |
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電話 |
綿業会館(めんぎょうかいかん)は大阪府大阪市中央区船場にあるルネサンス風の歴史的建造物。三休橋筋に面して立つ。2003年12月25日に国の重要文化財に指定されている。2007年に近代化産業遺産に認定された。
1931年12月に日本綿業倶楽部の施設として竣工した。外観はアメリカのオフィスビル風でさりげないが、クラブ建築らしく内部は充実しており、室毎に異なるスタイルで装飾されている。ジャコビアン様式(イギリスの初期ルネサンス風)と言われる2階談話室は全室中最も豪華な部屋で、映画やドラマの撮影などにもよく使われる。
目次 |
[編集] 歴史
東洋紡績専務取締役・岡常夫の遺族から贈られた100万円と関係業界からの寄付50万円、合わせて150万円(現在の75億円に相当)を基にして建設された。
非財閥の民間の建物でありながら、内外装の細部に至るまでのデザインや最先端の設備の導入がなされるなど、"最高"を求めた造作になってる。そのため当時の日本を代表する施設として国際会議の場として数多く利用され、1932年3月には リットン卿を団長とする国際連盟日華紛争調査委員会メンバー(リットン調査団)が来館するなど、戦前の日本外交の舞台にもなっている。
1945年3月の大阪大空襲で船場オフィス街は壊滅的な被害を受けたが、この建物は各部屋の窓にワイヤー入り耐火ガラスを使用していたために殆ど無傷であった。
[編集] 交通アクセス
- 大阪市営地下鉄御堂筋線 本町駅 徒歩5分