網野銚子山古墳
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網野銚子山古墳 | |
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所在地 | 京都府京丹後市網野町網野 |
位置 | 北緯35度40分41秒 東経135度1分47秒 |
形状 | 前方後円墳 |
規模 | 全長198m |
築造年代 | 4世紀末〜5世紀初 |
史跡指定 | 国史跡(1922年3月8日) |
網野銚子山古墳(あみのちょうしやまこふん)は、京都府京丹後市網野町(旧・竹野郡網野町)にある前方後円墳である。全長約200mの巨大古墳で、神明山古墳・蛭子山古墳とともに日本海沿岸三大古墳といわれており、その中でも最大である。国史跡に指定されている。
目次 |
[編集] 概要
日本海を見下ろす丘の上に築かれており、造られた当時はすぐ間近まで潟湖が迫っていたとみられている。墳丘は前方部を北東に向けた3段構築の前方後円墳で、全長198m、後円部の直径115m・高さ16m、前方部の幅80m・高さ10m、葺石がふかれ円筒埴輪の列が巡る。埋葬施設については不明。 築造時期は古墳時代前期末から中期初頭(4世紀末〜5世紀初)とみられている。
陪塚として寛平法皇陵古墳、小銚子古墳の二つの古墳がある。
[編集] 調査
- 1918年、梅原末治によって調査され、その成果を受けて国史跡に指定される。
- 1986年、ほ場整備による発掘調査で墳丘南東部分に周濠が確認される。