絶対音感
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絶対音感(ぜったいおんかん、英 absolute pitch, perfect pitch)とは、十二平均律を基準とするかぎりでの、音の高さに対する「絶対」感覚。しかし、十二平均律は音高のさまざまな尺度のうちの一つに過ぎないのであるから、これを「絶対」と呼ぶことは端的に誤りである。相対的な基準に合致していることを「絶対」と称するこの種の命名法には、近代西洋音楽を中心に考えるという植民地主義的・帝国主義的な前提が反映されている。別名として、絶対的音感、絶対的音高感などがある。
ある程度音楽を学習したり体験した者は、2音間の音の高さの違いの大きさ(音程)に対して一定の感覚を保持する。普通、これを音感という。一般にはこれは一方の音に比べて他方の音が高いか低いかという相対的な音感であるが、これに対して音高自体に対する直接的な認識力を持つ場合、特に「絶対音感」と呼ぶ。
この直接的な認識力についてもいろいろなケースがあるが、狭義には、音高感と音名との対応付けが強く、ある楽音を聞いたときに即座に音名が浮かぶ場合に「絶対音感がある」と言う。現在、主にマスメディアなどで使われる「絶対音感」はこの意味である(後述)。
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[編集] 概要
絶対音感(音高感)は、音高に対する一生にわたる長期記憶と言い換えることもできる(この場合、相対音感は音程に対する短期記憶ということになる)。 その意味では絶対音感はその「有無」で語られるべきものではなく、能力としての優劣、強弱で評価されるものである。 例えばカラオケなどで伴奏が移調されていてCDと異なるような時、一般の人でも高さが違うと気づくことは多いが、これは絶対的な音感の発揮例といえる。 つまり、おおざっぱな高い、低いについてはだれでも言い当てることができるのであって、そういう意味の「絶対的音感」は程度の差はあれ誰もが持っている。
一方で、マスメディアや音楽に特別詳しくない一般人の間で持て囃される「絶対音感」は、特に「音高を言い当てる能力」の意味に限定して捉えられている(この場合、西洋音楽でかつ十二平均律による音高ということが暗黙の前提となっている)。ただし、その場合も必ずしも機械のように「完全」な精度を持っている能力というわけではなく、その能力の範囲に当てはまる絶対音感保有者の中でも高精度であったり、高精度の者よりも僅かに精度が落ちるという絶対音感保有者がおり、感覚そのものは個人差がある。
この意味の「絶対音感」は能力の有無でのみ評価されることが多く、精度とか能力の優劣という観点は欠けている場合が多い。また、習得には臨界期があり、3歳~5歳くらいの間に意識的に訓練をするとかなりの確率で身につけることができるが、それを過ぎると習得は困難である。従って、西洋音階の12音を区別できるような絶対音感を身につけようとするならば、この時期に、12音の音名と音高を、確実に結びつけるような特別な訓練が必要である。このころからピアノを習っているような児童であれば、ピアノの白鍵に相当するところだけの絶対音感を持っている人も珍しくないが、これは、そのころの教則本が白鍵のみで弾ける曲ばかりであるので、白鍵のみにつき絶対音感が養われるためである。このような人は、黒鍵をたくさん弾かなくてはならない調になればなるほど、演奏に困難を覚えるし、黒鍵の「音当て」では、半音間違えてしまうことが多い。12音すべてに完全に対等な絶対音感を身につけた人は、どの調性であっても同じ難易度に感じられる。
この能力がある人は、日常生活において耳にするサイレンやクラクションなども音高名を伴って(ドレミ…などの階名で)認知できるが、その場合、音階に収まらない音(微分音にあたる音高や周期性の弱い雑音、倍音構成がいわゆる「楽音」から遠く音程の認識が困難な音など)については、上記白鍵だけの絶対音感保持者と同様に、最も近そうな音階に引き寄せて認識していると考えられる。
[編集] 「絶対音感」を持つ人は
12音につき完全な絶対音感を持つ人は次のことが基準音を与えられずに容易にできる。
- さまざまな楽音やそれに近い一般の音に対して音名を答えられる。
- 和音の構成音に対しても反射的に音名を答えられる。
また、次のようなこともさしたる努力もなしにできる人が多い。
- 楽曲を記憶するのが速いことが多い。
- 耳で知っているだけの曲を楽譜なしで即座に弾くことができる。
一方で、
- 移動ドで歌うことを苦手とする場合がある。
- 移調楽器や現在の基準音(A=440~442)に設定されていない楽器(古楽器等)を演奏する場合、鳴っている音と譜面の音が一致しないので演奏に抵抗を感じることがある。
- 薬物の作用によって、絶対音感が狂うことがあり、不便を感じることがある[1]。
などの弊害もある。
[編集] 「絶対音感」の有益性
「絶対音感」を身につけると音楽を学ぶ際や作曲の際に有利であると言われることがある。 実際、記譜の際や楽曲を記憶するために便利であることは想像に難くない。 一方で、限定的な「絶対音感」ばかりが音高感や音程感に対し極端に勝ってしまうと、例えば現代の標準であるA=440で訓練した人がバロック期のA=415程度に調律された楽器で演奏する場合に、時に演奏困難なほどの違和感に悩まされるなどの弊害がある。
そもそも音階というものは十二平均律だけが正しいというように一律に定まっている物ではない。純正律の演奏を聴いたときに不快感を感じるような「絶対音感」が音楽的に意味があるかどうかは議論の余地がある。
また、強度の絶対音感の保持者は数ヘルツといった微妙な音のズレに不快感を持つと自称するほか(後述のように現代のオーケストラが様々な標準音を用いていることを考えれば、これについては疑問が多い)、BGM・チャイム・駅の発車の音楽などが総て階名で耳に飛び込んでくるので聞き流すことができない、など日常生活での不便を語られることがある。
絶対音感の有無は音楽的能力全体から見ればごく一部の現象であり、作曲家や演奏家として一流になるために必須の能力であるということではない。
[編集] 絶対音感を持っていると思われる著名人
その代表例として、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトがよく挙げられる。モーツァルトの時代に現在のように正確なピッチを測定する方法があったわけではないし、そもそも音の基準が各地方、各家でまちまちで、はたして現代的な意味での絶対音感が養われたのか、また地方によって半音も基準が違うのに、演奏旅行で不便でなかったのかなど、素朴に考えればきわめて疑わしい。従って、実際に彼の音感がどういった精度や性質のものであったかは定かではない。 また早熟な音楽家の近年代表例である宇多田ヒカルは雑誌のインタビューで絶対音感を持っていることを否定しており、「音がみんなドレミで聴こえるなんていただけない」といった趣旨の言葉をつづけている。
[編集] 西洋音楽と絶対音感
絶対音感の強い者の多くは、音を、音高の名前(音名-階名(ドレミ)であることが多い)を伴って把握している(必ずしも始終そうであるとは限らないが)。このため、絶対音感を持つ者は固定ド唱法(調の主音を「ド」にする(長調の場合)ような移動ド唱法ではなく、調にかかわらず「ド」を特定の音高に固定して歌う音名唱法)で旋律を捉えることが多い。 ただし、絶対音感保有者の中でも得手不得手の音高、音域、楽器の種類など様々なタイプが存在する。 一般に弦楽器奏者は、他の音に対してはそうでなくても、チューニングに用いるイ音(A)の高さについては敏感だが、これは必ずしも絶対音感によるものではなく、弦の張り具合など、音感以外の別の要素を用いて察知していると考えられる。
現在のようにイ音(A音)=440ヘルツと定義されたのは1939年5月にロンドンで開催された標準高度の国際会議であり、それ以前は各国によって標準となる音高は一定していなかった。また同じ国でも時代によってチューニングは変わっており、18~19世紀頃は概ね422~445ヘルツと大雑把なものであった。 なお、現代のオーケストラなどでは、標準高度よりもやや高いA=442~444ヘルツで演奏されることが多いようである。今世紀初めの古い録音では標準音が435ヘルツのオーケストラもあった。(このことを不快がる聴衆や音楽家がいないことから、実際には数ヘルツなどといったわずかな音程を聞き分けられる絶対音感保持者は存在しないといわれている。あるピアノ調律師は「自分は数ヘルツを聞き分けると豪語する音楽家に数多く出会ったが、そのうちの誰一人として、そのような音を聞き分けられる者はいなかった」との証言を残している。絶対音感の文化依存性から考えても首肯できる見解である)
[編集] 医学的研究
ウィリアムズ症候群(WS)と呼ばれるタイプの遺伝子疾患との関連が研究によって指摘されている。
[編集] 日本での受容
昭和8年、園田清秀がピアノで小児への早期教育を実施、昭和14年頃ピアニスト笈田光吉の呼びかけに軍人が全国民が飛行機など機械音に敏感になるため普及活動を展開。一部の音楽家は反対するも大日本帝国海軍の対潜水艦教育、大日本帝国陸軍の防空教育で採用されたが昭和19年には中止されたという。
[編集] 参考図書
- 最相葉月『絶対音感』(小学館 2002年 ISBN 4094030662)
- 堀内敬三『音楽五十年史(下)』講談社学術文庫139、1977年6月