紫宸殿
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紫宸殿(ししんでん)とは、天皇の私的な在所であった内裏において、天皇元服や立太子、節会などの儀式が行われた正殿。天皇の普段居住する殿舎である清涼殿に対し紫宸殿は公的な意味合いが強かった。
平安中期以降、大内裏の正殿であった大極殿が衰亡したことによって、即位の礼や大嘗祭などの重要行事も紫宸殿で行われるようになった。内裏は鎌倉時代に火災にあって以後、再建されることはなかったが、紫宸殿は臨時の皇居である里内裏で再建され、現在の京都御所(これも元は里内裏である)にも1855年に古式に則って再建されたものが伝わっている。
[編集] 左近の桜、右近の橘
紫宸殿の南庭には東に桜、西に橘が植えられており、それぞれの近くに左近衛と右近衛が配陣したため、左近の桜、右近の橘と称される。左近の桜はもともとは梅だったといい、乾枯したのを契機に桜に植え替えられたという。左近衛の陣所は宜陽殿に続く軒廊(こんろう)にあり、「左近衛の陣」と呼ばれた。摂関政治全盛期にはここで摂関を座長とする朝議(陣所で行われるため陣議といい、帯仗が許されたため仗議ともいう)が盛んに行われて実質的な国政の中心となった。まれに校書殿東庇にある「右近衛の陣」でも行われ、『年中行事絵巻』に「右近衛陣座」として描かれている。
[編集] 関連事項
[編集] 参考文献
- 『平安建都1200年記念 甦る平安京』 京都市編纂・発行