第九三八海軍航空隊
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第九三八海軍航空隊(だい938かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。太平洋戦争中盤にソロモン諸島防衛・哨戒に従事した。
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[編集] 沿革
米豪分断の最前線基地としてソロモン諸島の占領をもくろんだ海軍は、米軍からガダルカナル島を奪還すべく、多数の航空隊を派遣した。ラバウルより前方に飛行場を持たない海軍は、ブーゲンビル島沖のショートランドを停泊地とし、多数の水上機母艦を進出させた上で近距離哨戒・掃討作戦に就かせた。当初は艦載機を一括運用し、「R方面部隊」と称した。運送船の消耗が相次いだため、母艦は続々と水上機母艦任務をはずされて運送船に転換された。この際、艦載機は内地に帰還せず、現地で独立航空隊に改められて任務を続行した。九三八空は第九五八海軍航空隊に続き、母艦を降りて編制した水上機部隊である。九三八空は運送船に転籍した国川丸の艦載機隊を主幹とし、定数16機の不足分を水上機母艦籍にとどまった神川丸から補充して開かれた。
- 昭和18年4月15日 特設水上機母艦国川丸、運送船に転籍。艦載機(零式水上観測機16機) はショートランドに残留し、九三八空を新編。
第八艦隊附属に転籍。任務上は「R方面部隊」に残留。
- 昭和18年6月30日 レンドバ島にアメリカ軍上陸。第六空襲部隊を九五八空などと結成。
- 昭和18年7月1日 レンドバ島を偵察。以後、9月まで偵察・銃爆撃に従事。
- 昭和18年9月20日 コロンバンガラ島守備隊の撤退に協力。防空哨戒・魚雷艇掃討に従事。
- 昭和18年11月1日 ブカ島に撤退。ソロモン諸島の哨戒は継続。
ベララベラ島への物資投下を5回実施。
- 昭和18年10月27日 モノ岬への連合軍上陸部隊を発見、翌日の「ろ号作戦」発動に貢献。
- 昭和18年11月12日 第四次ブーゲンビル島沖航空戦に索敵隊として参加(これをもってろ号作戦終了)。
- 昭和19年1月18日 チョイスル島守備隊の撤退に協力。21日まで防空哨戒・魚雷艇掃討に従事。
- 昭和19年2月20日 第二五三海軍航空隊の撤退をもって「ラバウル航空隊」消滅。
- 昭和19年3月10日 第十七軍のタロキナ攻撃を上空支援。
- 昭和19年3月15日 ブインに進出、以後月2回程度のペースでブーゲンビル島周辺の哨戒・ラバウルへの物品輸送に従事。
- 昭和19年8月4日 連絡のためトラック環礁へ1機出発。無事往復(九五八空と九三八空のどちらの水偵かは不明)
- 昭和19年12月10日 解隊。
装備が払底し、機体を九三八空に譲って解散した。要員は内地帰還ができず、ラバウルにとどまり、12月1日に新編した陸戦部隊の「第八五警備隊」に編入されて終戦を待った。この八五警はニューギニアの要地フィンシュハーフェンで上陸阻止戦を展開した初代とはまったく別物の二代目である。
[編集] 主力機種
[編集] 歴代司令
- 寺井邦三(昭和18年4月15日‐)
- 山田龍八(昭和19年2月25日‐昭和19年12月10日解隊)
[編集] 参考文献
- 『日本海軍編制事典』(芙蓉書房出版 2003年)
- 『航空隊戦史』(新人物往来社 2001年)
- 『日本海軍航空史2』(時事通信社 1969年)
- 『戦史叢書 南東方面海軍作戦3』(朝雲新聞社 1976年)
- 『連合艦隊海空戦戦闘詳報別巻1』(アテネ書房 1996年)