稲葉正盛
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時代 | 江戸時代後期 | |||
生誕 | 寛政3年10月9日(1791年11月4日) | |||
死没 | 文政2年12月6日(1820年1月21日) | |||
別名 | 本三郎(幼名) | |||
戒名 | 瑯浪院殿清鑑道輝 | |||
墓所 | 京都市右京区花園の麟祥院 | |||
官位 | 従五位下、播磨守 | |||
藩 | 安房館山藩主 | |||
氏族 | 稲葉氏 | |||
父母 | 父:稲葉正武、母:加納久周の娘 | |||
妻 | 正室:本多忠誠の娘 | |||
子 | 稲葉正巳(長男) |
稲葉 正盛(いなば まさもり)は、安房国館山藩の第3代藩主。
寛政3年(1791年)10月9日、第2代藩主・稲葉正武の長男として生まれる。文化9年(1812年)3月9日に父が隠居したため、家督を継いで藩主となる。同年12月24日に従五位下、播磨守に叙任する。文政2年(1819年)、大坂加番となるが、在任中に病に倒れ、12月6日に大坂で死去した。享年29。
後を長男・正巳が継いだ。
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