秦明
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秦 明(しん めい)は中国の小説で四大奇書の一つである『水滸伝』の登場人物。
梁山泊第七位の好漢。天猛星の生まれ変わり。渾名は霹靂火(へきれきか)で、彼の非常に短気で剛直な性分と、大変大きな怒鳴り声を「稲妻」のそれに例えたもの。狼牙棒という六尺余りの鉄棒の先にサボテン状の多数の棘のある重りが付いた、敵を兜や鎧ごと叩き潰す武器を得意とする猛将。先に挙げた様に、剛直で短気な絵に描いたような猛将で、戦場ではその武勇と勇猛さで大いに活躍するが、その性格が災いして不覚を取る事も多い。また宋江を始め梁山泊の連中は、必要な人材を引き込むためには非道な手段もいとわない集団だが、秦明は朱仝と並んでその被害者の代表として挙げられ、同情されることが多い(他に盧俊義もかなり強引に仲間に引き込まれているが半ば自業自得なので余り同情されない)。ただ宋江や花栄のせいで酷い目に遭ったのに、謝罪された後、花栄の妹を娶らされるとけろりとしてしまう秦明も秦明である。知名度は高いが戦場以外で活躍しないため、人気は席次の高さに対して若干低い。
注意:以降の記述で物語・作品に関する核心部分が明かされています。
[編集] 生涯
四川開州の出身(異説有り)である秦明は、青州に赴任しそこの軍の総司令にまでなった。ある時、清風塞という軍事基地の副長官・花栄が山賊に通じたため、部下の黄信が山賊の首領諸共捕らえ、青州まで護送しようとしたが、途中清風山の山賊たちに奪われてしまった。秦明は兵500人と共に山賊討伐のために出陣した。清風山に秦明が布陣すると、明け方、花栄が山賊の一隊を率いて降りてきた。秦明は、軍人でありながら山賊に身を落とした花栄の姿を見ると、激昂し打ちかかっていった。勝負は着く前に、花栄が馬首を返して逃げ出したため、秦明は追撃するが、山道で木石やら糞尿やらを浴びせられ部隊は混乱、さらに山賊たちの挑発に翻弄されて山の中を駆けずり回らされた挙句火攻めに遭い、川の近くへ逃れた所、山賊たちは上流で堰を切ったたため、部下達の殆どは溺死してしまい、秦明も捕らえられてしまった。
山塞に連行された秦明だったが、すぐに縄目を解かれる。ここで花栄から、黄信が捕らえた山賊の首領は、実は宋江という名高い好漢で、花栄達の罪は全て劉高夫妻のでっち挙げだったと知り、秦明は宋江と花栄に自らの不明を詫びた。ここで宋江と花栄は、秦明に自分達の仲間になってもらいたいと申し出るが、軍人たる事に誇りを持つ秦明はそれを拒否し青州に戻ることにした。あくる日、秦明が一騎で青州に戻ると、城門は堅く閉じられ、しかも衛兵達が自分に矢を放ってきた。なにがなんだかわからないでいると知事の慕容彦達が城壁から顔を出し、「山賊と内通して近隣の村を襲ったくせに、どの面下げて戻ってきた! もうお前の一族郎党は皆殺しにしてやった」と秦明の妻の首を竿からかかげた。自分にまったく身に覚えの無いことで、妻を殺された秦明は激怒したがどうすることもできずしかたなしに清風山に戻った。
宋江と花栄に事の次第を話すと、実は、青州を襲撃した秦明は山賊が化けた偽者で、秦明を仲間に入れるため宋江と花栄が仕組んだということが解った。秦明は激怒するが、二人が誠心誠意詫びるのと、今更どうしようもないので仕方なく仲間に入った(二次創作、少年向けの訳などでは、この宋江たちのやり方が余りに汚いということで、単に山賊に敗れた秦明に知事が苛烈な罰を与えた、また内通を邪推したと改変される場合が多い)。また直後、やもめになった秦明のために、宋江のとりなしで花栄の妹を娶ることになった。この後、秦明はさらに黄信を説得して仲間に加え、宋江たちが清風山を去るのに伴って梁山泊に合流した。
梁山泊では軍の中心の一人として活動、祝家荘との戦いでは祝竜を討ち破り、祝家荘中最強の欒廷玉とも互角以上に戦うが、彼の誘引の計にかかり捕虜になってしまう。つづく高唐州の戦いでは敵の次鋒を瞬殺、続く呼延灼との戦いでは、敵将韓滔を圧倒し、因縁の青州攻めには真っ先に従軍を希望、妻の仇慕容彦達を討ち取った。北京攻めでは似たような性格の敵索超と互角の勝負を演じた。第二次曾頭市戦では晁蓋の仇史文恭と戦うが敵のほうが上手で太股に重傷を負い敗北、以後しばらく養生のため戦線を離れた。百八星集結後は騎兵五虎将の一人に任命される。朝廷への帰順は肯定派だったようで、特に不満は漏らしていない。朝廷へ帰順した後も主に騎兵先鋒として活躍、数々の敵将を討ち取る。方臘との最終決戦の前哨戦で、方臘の甥方杰と戦いこれも圧倒するが、別の敵将杜微が飛刀を放ち、これをかわした所に隙が生まれ、方天戟を浴びて斃れた。