福島FC
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福島FC | |
原語表記 | 福島フットボールクラブ |
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愛称 | |
クラブカラー | |
創設年 | 1951年 |
所属リーグ | ジャパンフットボールリーグ |
ホームタウン | 郡山市 |
ホームスタジアム | 郡山総合運動公園開成山陸上競技場 |
収容人数 | 15,474 |
代表者 | |
監督 |
目次 |
[編集] 概要
1951年に「福島教員サッカー部」(県教育委員会直轄)創部。1982年に国民体育大会のサッカー競技から教員団大会が無くなったのに伴い一般にも門戸を開放し、同時にチーム名を福島FCとした。
1993年のJリーグ開幕をきっかけに福島県でもJリーグ招致をという動きが活発になり、福島FCも1995年の国体開催終了後のジャパンフットボールリーグ(JFL)参戦を目指そうという計画が具体化したが、その前年1994年度の東北社会人リーグ優勝、全国地域リーグ決勝大会でも2位に入り国体開催年のJFL入りを果たす。
1995年のJFL入りに際しては、単一チームだと両大会に出場することが困難なので、チームをJFL用、国体用の2班に分けて活動し、JFL用のチーム編成ではJリーグ経験者も招聘した。
1996年に元ジェフユナイテッド市原監督の永井良和を監督に招聘、プロ選手も本格的に補強し、Jリーグ参戦を念頭にしたチーム作りを始め、1997年にJ2リーグの参加申請を行ったものの、郡山市の開成山運動公園陸上競技場、西部サッカーグラウンドの改修やチームの財政支援のメドが立たなかったことなどからチーム経営が悪化。この年の11月にチームの解散を決定し、J2はもちろん1998年度以降のJFL参戦も撤退することになった。
現在福島FCでかつてプレーしていたアマチュア選手(1995年の国体用チームの大半が所属)を中心に結成された「FCプリメーロ」が福島県をホームタウンにして活動しており、将来の日本フットボールリーグ(JFL)参戦を目指している。
[編集] 歴年成績(JFLにおける成績)
- 1995年 13位 (11勝19敗)
- 1996年 14位 (7勝23敗)
- 1997年 10位 (13勝17敗)
[編集] 主な在籍選手
[編集] 外部リンク
- PRIDE of FUKUSHIMA(福島FCの紹介サイト)
[編集] 関連項目
- バリエンテ郡山(郡山市)
- 福島ユナイテッドFC(福島市)
- アビラーション(いわき市)