石巻康敬
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石巻 康敬(いしまき やすまさ、天文3年(1534年) - 慶長18年10月1日(1613年11月12日))は後北条氏の家臣。左馬允、下野守。父は石巻家貞。兄に石巻康保。
北条氏の御馬廻衆で奉行人・評定衆なども務めた。天正7年(1579年)頃に兄康保が死去したと思われ、その頃に家督を継いだとみられている。
天正17年(1589年)、名胡桃事件の弁明のために使者として上洛するが、弁明は聞き入れられなかった。その帰路で康敬は捕らえられて駿河国三枚橋城に抑留されてしまう。北条氏滅亡後は身柄を徳川家康に預けられて相模国鎌倉郡中田村に蟄居したが、後に徳川家康に仕えた。
慶長18年(1613年)10月1日に没し、康敬が開基となった中田寺に葬られた。なお、康敬の墓は現在横浜市の登録文化財になっている。
[編集] 参考文献
- 阿部猛、西村圭子『戦国人名辞典 コンパクト版』(新人物往来社、1990年) ISBN 4404017529
- 『真説戦国北条五代―早雲と一族、百年の興亡』 学習研究社、1989年、ISBN 405105151X