矢野和哉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
矢野 和哉(やの かずや、1962年12月10日 - )は兵庫県神戸市出身のプロ野球元投手。左投左打。
[編集] 来歴・人物
報徳学園から神戸製鋼を経て、1985年ドラフト4位でヤクルト入団。被本塁打がやや多く、成績は安定しなかったが、貴重な左腕投手として活躍。1989年にはローテーションの谷間で先発する事も多かった。
1991年・1992年と一軍登板がなく、二軍でも成績が安定しなかった為、1992年のオフに自由契約となる。1993年台湾・時報イーグルスで1年間プレイした後、現役を引退した。
1994年から2004年までヤクルトのスカウトとして、主に四国・関東を担当。岩村明憲や宮出隆自など、後に打線の中核を担う選手を担当。自身投手でありながら、野手の発掘に定評があった。また先述の岩村も該当するが、故障した選手の指名を推す事もあり、2002年に指名した担当の泉正義は結局故障が癒えず3年間で一・二軍とも登板機会がないまま現役を引退している。
2005年から球団販売促進部に異動、係長に昇進している。
[編集] 通算成績
年度 | 背番 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | 勝率 | 打者 | 投球回 | 被安 | 被本 | 与四 | 与死 | 奪三 | 失点 | 自責 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1986 | 12 | 34 | 0 | 0 | 2 | 2 | .500 | 395 | 91 1/3 | 85 | 17 | 33 | 4 | 53 | 49 | 46 | 4.53 |
1987 | 28 | 0 | 0 | 6 | 6 | .500 | 86 2/3 | 377 | 93 | 12 | 30 | 2 | 56 | 50 | 49 | 5.09 | |
1988 | 18 | 1 | 1 | 1 | 7 | .125 | 289 | 62 | 85 | 9 | 23 | 2 | 28 | 49 | 45 | 6.53 | |
1989 | 22 | 5 | 1 | 5 | 9 | .357 | 445 | 109 1/3 | 102 | 16 | 27 | 2 | 51 | 41 | 39 | 3.21 | |
1990 | 27 | 0 | 0 | 0 | 3 | .000 | 163 | 38 1/3 | 38 | 7 | 15 | 0 | 25 | 19 | 17 | 3.99 | |
通算 | 129 | 6 | 2 | 14 | 27 | .341 | 1669 | 387 2/3 | 403 | 61 | 128 | 10 | 213 | 208 | 196 | 4.55 |
- 時報 (1993) 7試合 1勝1敗 投球回 17 1/3 防御率 3.12
- ※セーブ記録無し
- 初登板
-
巨人 2 2 0 2 0 0 0 0 0 6 加藤初-●木下-鹿取-香田-高橋 ヤクルト 0 4 5 0 0 4 0 0 x 13 高野-矢野-中本-○尾花
- 初勝利
- 1986年7月29日広島戦(神宮) 7回1/3無失点 被安打3 奪三振5 四死球3
-
広島 0 0 0 0 0 0 0 0 1 1 ●白武-清川-川端-津田 ヤクルト 0 0 4 0 1 0 0 0 x 5 ○矢野-S中本
- 初完投・初完封
- 1988年4月25日巨人戦(神宮) 被安打5 奪三振3 四死球4
-
巨人 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ●槙原 ヤクルト 0 0 0 0 0 0 0 1 x 1 ○矢野
ヤクルトスワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ) 1985年ドラフト指名選手 |
---|
1位:伊東昭光 / 2位:荒井幸雄 / 3位:内山憲一 / 4位:矢野和哉 / 5位:山田勉 / 6位:杉山孝一 |