矢内理絵子
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矢内 理絵子(やうち りえこ、1980年1月10日‐)は、将棋の女流棋士。埼玉県行田市出身。身長165cm。血液型O型。 関根茂九段門下。女流棋士番号32。本庄東高等学校卒。
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[編集] 人物
- 愛称は「やっぴぃ」「やうたん」。
- 石橋幸緒、千葉涼子と共に、「花の80年生まれ・若手3羽ガラス」と呼ばれている。これまで清水市代・中井広恵の2強に阻まれタイトルを取れないことも多かったが、2006年に7年4ヶ月ぶりにタイトル(女流名人位)を獲得した。華のある若手女流のうちの一人として、テレビや解説の聞き手などの仕事を多く持つ。
- 居飛車党で、バランスを重視する棋風。じっくりとした落ち着いた指し回しだが、主導権を得たときは激しい攻めも見せる。対振り飛車戦においては左美濃と米長玉の組み合わせを好んで指し、有力な戦法の一つである穴熊囲いは(本人の好みに合わないためか)公式戦では使用していない。またじっくりとした棋風のため、無類の急戦好きである清水市代との対戦成績は非常に悪い。
- 10代の頃、対局で負けたあとに悔しさのあまり、自分の腕時計をトイレの壁に投げつけたという逸話がある。
- 趣味は、映画鑑賞(アクションもの)、ドライブ、吹き矢。
- 座右の銘は「戦いは最後の5分間にある」(ナポレオン・ボナパルトの言葉)。
- 2007年の女流棋士新法人(日本女子プロ将棋協会)設立に際しては設立準備委員を務め、積極的に発言・活動していたが、同年4月に突然、準備委員の辞任が発表され、日本将棋連盟に残留した。その経緯については明らかにされておらず、謎のままである。
[編集] 略歴
- 1990年 女流育成会に入会。
- 1993年4月1日 女流2級に昇段、女流プロとなる。
- 1993年8月 奨励会の入会試験に合格、6級で入会。同期入会は碓井涼子(現姓・千葉)。
- 1995年4月1日 女流1級。
- 1995年7月10日 女流初段。
- 1995年10月 第6期女流王位戦でタイトル戦初登場。清水市代に挑戦するが、0-3で敗れる。
- 1997年4月1日 女流二段。
- 1997年10月27日 第8期女流王位戦で清水市代を相手に3-2のフルセットを制し、初タイトル獲得。タイトル1期獲得により女流三段に昇段。
- 1998年 レディースオープントーナメント'98優勝。
- 1998年 第9期女流王位戦で清水市代を挑戦者として迎えるも、1-3で敗れ防衛ならず。
- 1999年8月 奨励会2級。
- 1999年11月 第7期倉敷藤花戦で清水市代に挑むも、0-2で敗れ獲得ならず。
- 2000年11月 第8期倉敷藤花戦で清水市代に挑むも、再び0-2で敗れ獲得ならず(清水はこのタイトル7連覇)。
- 2001年1月 奨励会を2級で退会。
- 2001年 第23期女流王将戦で清水市代に挑戦するも、1-3で敗れて獲得ならず。
- 2002年4月~2006年3月 NHK衛星第2テレビ「囲碁・将棋ジャーナル」の司会として出演。
- 2002年11月 第10期倉敷藤花戦で中井広恵に挑むも、0-2で敗れ獲得ならず。
- 2004年8月3日 この日の対局で女流三段に昇段後120勝を挙げ、女流四段に昇段。
- 2004年9月 王位戦で男性棋士相手に2回勝ち3回戦に進出。
- 2004年10月 第15期女流王位戦で清水市代に挑むも、0-3のストレートで敗れ獲得ならず。
- 2005年11月 第13期倉敷藤花戦で清水市代に挑むも、0-2のストレートで敗れ獲得ならず。
- 2006年2月 第32期女流名人位戦で清水市代に3-0のストレートでタイトルを獲得。この棋戦で女流四冠すべてに挑戦した史上4人目の女流棋士となると共に、女流棋士の頂点に立った。
- 2007年2月 さいたま輝き荻野吟子賞個人賞を受賞。
- 2007年2月22日 レディースオープントーナメント2006優勝。
- 2007年3月26日 第33期女流名人位戦で中井広恵の挑戦を3-2で退ける。タイトルを防衛したのは自身初。
- 2008年2月20日 第34期女流名人位戦で斎田晴子の挑戦を3-0で退け、3連覇。
- 2008年5月14日 第1期マイナビ女子オープンで甲斐智美を3-1で降し、初代女王の座に就くとともに自身初の二冠となる。
[編集] タイトル履歴
登場回数14回 獲得合計5期
[編集] 棋戦優勝履歴
- レディースオープントーナメント 2回 (第12回・第20回)
優勝合計2回
[編集] 将棋大賞
- 第33回(2005年度) - 最優秀女流棋士賞
- 第34回(2006年度) - 最優秀女流棋士賞
- 第35回(2007年度) - 女流棋士賞
[編集] その他表彰
- 2007年2月 第2回さいたま輝き萩野吟子賞