真幸駅
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真幸駅(まさきえき)は、宮崎県えびの市内竪にある、九州旅客鉄道肥薩線の駅。宮崎県で最初に出来た駅である。
「真の幸せに入る」に通じるとして、入場券などで人気がある。度重なる土石流災害に住民は移転し現在は周辺に人家一つない「秘境駅」のひとつ。
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[編集] 駅構造
肥薩線の山線と呼ばれる険しい区間にある駅の一つで、肥薩線で唯一宮崎県内にある。通過不可能な逆Z字型のスイッチバック構造で、かつて運転されていた優等列車も必ず停車しなければならなかった。
駅舎は開設当初のものである。
1面2線のホームの中程に「幸せの鐘」が置かれている。幸せと感じる度合いに応じて鳴らすのがよいとされている。
地域のボランティアが駅ノートを設置し、特産品やお茶のサービスなどを行っている。また、ボランティアがいる時間帯では記念入場券を購入することができる。
[編集] 駅周辺
すぐそばに国道447号が通っているが、駅周辺は林に隣接していて閑散としている。
- 真幸鉱泉(飲料用)
[編集] 利用状況
1日平均乗車人員は1人である(2005年度)
[編集] 歴史
その名前に反して、真幸駅とその前後の線路には悲しい歴史が残っている。
1945年(昭和20年)8月22日、多数の復員軍人を乗せた列車が吉松駅との間にある第二山の神トンネル内で立ち往生してしまった。空襲攻撃により鹿児島本線や日豊本線の主要橋梁の落下被害で唯一の運転ルートだった事や戦時中の酷使による機関車の疲弊、粗悪石炭使用による馬力不足に加えて復員軍人で満員状態であったことなどが原因であった。蒸気機関車の煙に巻かれた多くの復員軍人達がトンネル内を歩いて脱出しようとしたところ、これを知らない機関士が列車を後退させてしまい、53名が轢死してしまうという事故となったのである。以後、このトンネル内に人の話し声が聞こえたり話しかけた声に返事が返ってくるなどといった心霊現象が起こるという。この事故は観光列車「いさぶろう」「しんぺい」車内でも説明される。なお、この事故があったあたりに復員軍人殉難碑が建っている。詳しくは肥薩線列車退行事故を参照。
1972年7月6日、折からの活発化していた梅雨前線によってもたらされた大雨の影響で、駅の裏山斜面が8合目付近から高さ350m×幅280mにわたって崩壊し、これが土石流となって真幸駅構内と周囲の集落を飲み込み、死者4名、負傷者5名のほか、住家28棟、非住家29棟流失の被害を出した。14時15分頃から5回にわたって発生した土石流の土砂は、合わせて約30万m³もの膨大な量に及び、肥薩線を切断し真幸駅構内を土砂で埋め尽くすと共に、白川沿いに約1.5kmの広範囲に渡って流出した。これによって真幸駅周辺は無人地帯となってしまったのである。なお、この土石流は、現在においても宮崎県最大規模のものとされている。また、ホームにはこのとき流れ込んだ重さ約8トンの巨石が、そのまま残されている。
- 1911年(明治44年)3月11日 客扱をせず仮営業として鉄道院が開設
- 1911年(明治44年)5月11日 本営業開始
- 1927年(昭和2年)10月17日 川内本線全通に伴い肥薩線所属駅に変更
- 1986年(昭和61年)11月1日 電子閉塞導入により無人化
- 1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承
[編集] 隣の駅
[編集] 関連項目
肥薩線(えびの高原線) |
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