町沢静夫
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町沢 静夫(まちざわ しずお、1945年 - )は、精神科医。
新潟県西頸城郡青海町生まれ。東京大学文学部心理学科、横浜市立大学医学部卒。
心理学や精神疾患、少年犯罪等について、テレビに数多く出演し、読売新聞や朝日新聞などのいくつもの新聞に論説を書いたり、インタビューを受け、100冊以上の著書があり、精神科医として全国的に有名である。
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[編集] 経歴
東京大学文学部心理学科を卒業後、同学科の大学院に進学したが、東京大学の学園紛争のため、大学院を中退し、医者になることを志して、横浜市立大学医学部に入学した。
同学部卒業後、内科で研修を始めたが、「内科ではあまり患者と話ができない」という理由で、精神科に転向し、東京大学医学部付属病院分院神経科で臨床研修した。
研修後、国立精神・神経センター 国府台病院(千葉県市川市)にて研究を行い、途中でアメリカに留学した。アメリカ留学中は、主に境界性人格障害(Borderline Personality Disorder, BPD)について研究し、帰国後この障害が日本人にもあることを発表して、一般に同障害を「ボーダーライン」と呼ぶようになった。
1994年、千葉県市川市内のワンルーム・マンションに「町沢メンタルヘルス研究所」を開設し、1時間で5千円から1万円の自由診療(アメリカでの精神分析医の真似ごと)を始めた。同時に、佐々木病院(千葉県船橋市)や式場病院(千葉県市川市)などで、アルバイトで診療をするようになった。
2000年、立教大学(東京都豊島区)福祉学部教授に就任。
「町沢メンタルヘルス研究所」は、新聞記者の取材中に、刃物を持った女の子が押し入ったとの理由で、マンションの理事会から立ち退きを命じられたため、立教大学に近い、東京都豊島区目白にある「家族ラボ」に勤務し始め、初診で1時間3万円の自由診療を始めた。
2000年5月に、佐賀県で、息子の家庭内暴力に困っていた母親からの手紙による依頼を受けて、佐賀県警と地元の国立肥前療養所に電話のみで、その母親の息子の少年を強制入院させた(なおこの直後に、「佐賀の病院に電話をしたら、初めは空きベットはないと言っていたのに、よく聞いたらベットが1つ空いていると言っていた」と語っており、町沢本人が電話で国立肥前療養所に少年を強制入院させるための手配をしたことを明らかにしている)。少年は主治医と家族との話し合いのもとで外泊した際に、強制入院させられたことを恨みに思い、西鉄バスジャック事件を起こし、1人を死亡させ、数人の重傷者も出た。
少年を全く診ないで強制入院させたため、この事件の後、「精神医学会でかなり非難されて参った」と町沢本人が語っていた。
2002年、立教大学教授を辞職(辞職の理由は定かではないが、町沢本人の話では、「大学は面白くないから」とのことだった)。こののち、家族ラボや式場病院以外に、東京都池袋駅近くの榎本クリニックや、日比谷近くのクリニックに新たにアルバイトで診療するようになる。
2004年8月、持病の糖尿病の合併症である眼病変のため1週間入院した。同年9月、千葉県市川市の本八幡駅近くに「町沢メンタルクリニック」を開業し、式場病院以外の家族ラボなどのアルバイト先の診療をすべてやめた。
2005年8月末に、唯一残ったアルバイト先の式場病院も辞職し、「町沢メンタルクリニック」での診療に専念するようになった。
[編集] 勤務先(2008年3月現在)
- 町沢メンタルクリニック(東京都江戸川区西小岩にある自分のクリニック)
- 健愛クリニック(東京都足立区にある、民医連系の病院で、診察は金曜午後のみ)
[編集] 著書
- 『こころの健康事典』(朝日出版社)
- 『あなたの隣の“狂気”』(大和書房)
- 『こころは癒される』(大和書房)
- 『「壊れもの」としての家族』(大和書房)
- 『ボーダーラインの心の病理』(創元社)
- 『成熟できない若者たち』(講談社)
- 『中年期うつを治す』(講談社)
- 『成熟できない若者たち』(講談社)
- 『弱い心をどこまで強くできるか』(講談社)
- 『性格は変えられる』(KKベストセラーズ)
- 『ボーダーライン』(丸善ライブラリー)
- 『「他人」を気にするのはやめなさい』(海竜社)
- 『絶望がやがて癒されるまで』(PHP研究所)
- 『なぜ「いい人」は心を病むのか』(PHP研究所)
- 『わが息子の心の闇 バスジャック少年両親の"叫び"&子どもを幸せにするアドバイス』(小学館)
- 『佐賀バスジャック事件の警告 孤立する家族、壊れた17歳』(マガジンハウス)