田野倉利男
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田野倉 利男(たのくら としお、1954年4月3日 - )は中日ドラゴンズ・ロッテオリオンズに所属した元プロ野球選手(内野手)。東京都出身。引退後はロッテの2軍コーチを務めた。
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[編集] エピソード
ニックネームは「金魚」。その名前の由来は出目金魚のように目が大きかったことから。決勝ホームランを打った田野倉に、その試合の勝利投手であった星野仙一が「今日は金魚がよく打ってくれた。大手柄だな」と感謝の言葉を述べていた。 中日の高代コーチと仲が良く、高代コーチから「ぶんちゃん」と呼ばれている。
[編集] 来歴・人物
早稲田実業学校から1972年、ドラフト4位で中日に入団。同期には鈴木孝政がいる。現役時代は主に内野の控えが多かったが、二塁手としての定位置をつかんだ矢先に新人の上川誠二が二塁手としての守備機会に付く事が多くなり、守備固めと共に右の代打要員として16年間で通算746試合に出場した。改名がとても多く「正樹」「利長」「利行」「利男」(2番目以降は、読みがいずれも「としお」)と様々な名前を名乗った事で有名である。
1985年にロッテへ移籍し1988年に現役引退。その後、1990年までロッテの2軍コーチを務めた。野球解説はJSPORTSで一時期行なっていたが2007年にテレビ東京で復帰するまで離れていた。解説者としては割りとボソボソとした語り口ではあるものの、的を射た解説をする。
家業である徽章制作業(記章卸業)が本業で野球解説は二の次。ただ、少年野球の指導を行うなど完全に野球と縁が切れたわけではない様である。その縁か、ジャニーズ所属タレントの野球大会(2000年頃)(フジテレビ)の監督を務めた事がある。
[編集] 略歴
[編集] 通算成績
[編集] 背番号
- 52(1973年~1980年)
- 8(1981年~1984年)
- 10(1985年~1986年)
- 4(1987年~1988年)
- 77(1989年~1990年)
[編集] 関連項目
中日ドラゴンズ 1972年ドラフト指名選手 |
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1位:鈴木孝政 / 2位:片貝義明 / 3位:谷木恭平 / 4位:田野倉利男 / 5位:伊藤弘利 / 6位:豊島寛 / 7位:辻哲也 |