甘露寺篤長
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甘露寺 篤長(かんろじ かずなが、寛延2年5月3日(1749年6月17日) - 文化9年2月29日(1812年4月10日))は、江戸時代中期の公卿。父は従一位権大納言甘露寺規長。母は秋月藩主黒田長貞の娘。姉妹に蓮池藩主鍋島直寛室(佐賀藩主鍋島宗教養女)・薩摩藩主島津重豪室・従二位大蔵卿萩原従言室がいる。子に甘露寺国長・正三位右近衛権中将東久世通庸室・中園実暉(中園季隆養子)がいた。
蔵人頭を経て、天明元年(1781年)参議になる。寛政元年(1789年)権中納言兼按察使となり、同3年(1791年)権大納言になる。その後、従一位に昇叙される。文化9年(1812年)2月29日、64歳で薨去。日記『篤長卿記』は江戸時代の有職故実に関する貴重な史料。
[編集] 参考文献
- 小和田哲男『日本史諸家系図人名辞典』講談社、2003年。
- 近藤敏喬編『宮廷公家系図集覧』東京堂出版、1994年。