甘露寺妍子
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甘露寺 妍子(かんろじ きよこ、文化3年5月22日(1806年7月8日) - 嘉永4年10月28日(1851年11月21日))は、江戸時代後期の宮廷女官。大納言甘露寺国長の次女。母は冷泉為章長女の冷泉初子。甘露寺愛長は同母兄弟。従三位。
仁孝天皇の後宮となり按察使典侍と称し、桂宮淑子内親王をはじめ1皇子4皇女を産んだ。また久邇宮朝彦親王の養母にもなった。仁孝天皇崩御後は出家して禎祥院と号した。嘉永4年(1851年)10月28日、46歳で薨去。
[編集] 参考文献
- 近藤敏喬編『宮廷公家系図集覧』東京堂出版、1994年・
- 芳賀登ほか監修『日本女性人名辞典』日本図書センター、1993年。