王明
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王明(おうめい、1904年5月23日 - 1974年3月27日)は中国の政治家。本名陳紹禹(ちんしょうう)。一時期、中国共産党の最高指導権を握った。
安徽省六安生まれ。武昌大学在学中に青年共産同盟に加入し、1925年に中国共産党に入党した。モスクワ中山大学に留学し、中国共産党モスクワ支部を指導し1930年に帰国。当時の最高指導者であった李立三を批判し、党の最高指導権を握った。
1931年、ソ連からコミンテルン中国代表に指名されたが、毛沢東との権力闘争に敗れ、遵義会議で完全に党内の影響力を失った。
1943年春、権力奪還を計画。コミンテルンを通して毛沢東を押さえ込む目的で、密かにソ連行きを画策したが、5月にコミンテルンが解散したため計画は失敗した。
中華人民共和国建国後は政務院政治法律委員会主任としてさまざまな法律の制定に貢献したが、1956年に「病気治療」の名目でソ連に事実上亡命、死ぬまでソ連にとどまった。