渡辺省
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
渡辺 省(わたなべ はぶく、生年不詳 - 治承4年5月26日(1180年6月20日))は、平安時代末期の武士。嵯峨源氏。摂津渡辺党の一族、右馬允満の子で、学、授らの父。渡辺播磨次郎と称した。
源頼政の郎等として、保元の乱に参戦して白河殿の東門を攻撃した。承安3年(1173年)5月文覚が伊豆国に流罪になったとき、省は当時伊豆守だった源仲綱(頼政の子)の命を受けて文覚を護送した。また安元3年(1177年)4月延暦寺の僧兵らが加賀守藤原師高の流罪を要求して強訴に及んだ際には、大内守護をしていた頼政に従って北の門・縫殿の陣を守っていた。
治承4年(1180年)5月、頼政が以仁王と共に平家打倒の兵を挙げた(以仁王の挙兵)時はこれに従い、宇治川の合戦(橋合戦)に参戦した。このとき、瀕死の重傷を負った源大夫判官兼綱の首を取り、敵に奪われないように髷に石を結びつけてこれを宇治川に投げ入れ、自らも腹をかき切って入水したという。
[編集] 系譜
源融-源昇-源仕-源宛-渡辺綱-渡辺久-渡辺安-渡辺傳-渡辺満-渡辺省