水沢城
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水沢城(みずさわじょう)は、岩手県奥州市水沢区に存在していた城である。北上川右岸の胆沢平野中心部にある平城である。別名:臥牛城・大休城。一国一城制導入後は要害として扱われた。
[編集] 歴史・沿革
築城年代・築城者は不明だが、現地の伝承では葛西氏家臣の蜂谷氏・佐々木氏・柏山氏などがあげられており、葛西氏の胆沢平野支配の拠点の一つであったと考えられている。
葛西氏滅亡後、同地には木村吉清、続いて伊達政宗の領有となり、そのまま仙台藩伊達氏に継承される。当初は代官が置かれていたものの、後に政宗の従兄弟にあたる留守宗利が入ると、以後は宗利を祖とする「水沢伊達家」の支配が幕末まで続いた。
[編集] 構造
外堀の内側の面積は19,511坪、城の北西に本丸があり、以後外側に2の丸・3の丸、御門の外には当主の家族が暮らす南の丸があった。