正親町家
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正親町家(おおぎまちけ)は羽林家の家格を有する公家。藤原北家閑院流。洞院家支流。本家である洞院家は室町期に断絶したが、清華クラスの家柄であった。江戸時代の家禄は355石。明治維新後、伯爵。
太政大臣西園寺公経の孫で、太政大臣洞院公守の二男正親町実明から始まる。
江戸時代元禄時代の正親町町子は、実豊の女で柳沢吉保の側室である。「松蔭日記(東源氏)」を著わした才媛として知られる。寛政年間の公明は、尊号一件で中山愛親とともに処分された。
明治維新後の明治17年7月8日実正に伯爵の位を授けられた。実正は、埼玉県知事、侍従長、賞勲局総裁を歴任した。