機械論
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機械論(きかいろん、英:Mechanism独:Mechanizismus) とは天候や地形、生命などの諸々の自然現象を、霊魂などの概念を用いずに、その部分要素の古典力学的で決定論的な因果関係の連鎖のみで解釈でき全体の振る舞いも予測できる、とした説、考え方[1]のこと。
哲学、自然哲学、科学史の分野において扱われる名称・概念であり、それらの分野では目的論や生気論と比較・対置されている。但し、具体的にどの論をもって"機械論"とするのか、論者・教科書によって解釈は異なっており、それによって"機械論"の性質もいくらか変わってくることになるので注意が必要である(同様に「目的論」「生気論」の範囲についても注意が必要である)。
超自然的な力の介在を否定する機械論は自然科学の発展の礎となった。ただし、現実の世界はあまりに多くの要素が絡み合い、単純な機械論では挙動を予測できないことが多い。そのため複雑系などの学問が生まれている。また、量子力学の不確定性原理のように理論的に実証できない物がある可能性が生まれてきた。科学の広がりは創発と呼ばれる事がある。
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[編集] 提唱者と影響
古くは古代ギリシャのデモクリトスを機械論の論者とし、それを「原子論的機械論」と呼ぶ人もいる(デモクリトスは冒頭の機械論の定義と合致する主張をしたのである)。ただし、その理論の成熟度や当時の時代背景等々もあり、多くの支持者を得ることはできなかった。
ルネ・デカルト(1596年 - 1650年)が機械論的な見方を提唱したことは誰もが認めている。デカルトの機械論は特に巧みで説得力があったので、多くの信奉者を生み出し、ニュートンやライプニッツらにも大きな影響を与え、それはひとつの潮流ともなり「デカルト主義」とも呼ばれた。さらにデカルトが亡くなってから100年近く経った後、ジュリアン・オフレ・ド・ラ・メトリーが霊魂の存在を否定し、デカルトの動物機械説を人間にも適用し、人間を精神と肉体でできた機械とみるデカルト的二元論よりも機械論に徹底した生命観「人間機械論」を提唱した。
生物学・医学に関連する分野では、ウイリアム・ハーベー(1578年 - 1657年) による近代的な医学の確立によって、強い影響力を持つにいたった。
[編集] 批評
[編集] 機械論と唯物論
「霊魂」を考慮しないという点では、機械論と唯物論はほぼ同一だというのが、一般的な評価である。ただ、「機械論」はどちらかと言えば暗黙裡に「霊魂」に言及するのを避け、あるのかないのか議論を回避することで、(まずは)己の科学的な方法論で分析できるだけ分析を進めてみよう、とするところに比重が置かれているのに対して、「唯物論」のほうは(機械論が)先鋭化したもので、「霊魂は無い」と先験的に断定し主張しているところに相違点がある、といった指摘がなされることが多い。
[編集] 機械論と還元主義
機械論は「還元主義」と同一視された上で批判されることがある。だが、二つは同一ではない。機械論であっても還元主義でない視点・論点がある。つまり機械論的に(「霊魂」という概念は用いず)分析しても、全体性を見失わずマクロ的な現象や相互作用も同時に追う、「ホーリズム」的な視点や、近年では「複雑系の科学」の視点もある。
因みに、機械論であって、なおかつ要素だけに着目して、ただそれだけで全体を理解したと錯覚してしまうのが「還元主義」であり、それは批判されてもしかたない、とも言われる。
[編集] 機械論と物理主義
現代では機械論ではなく物理主義の考え方が採用されることが多い。例えば心の哲学での研究などがそうである。
[編集] 脚注
- ^ 注. "考え方"という表現にしている理由について。人によりこの "考え方" に対する接し方は異なる。これがともかく無条件に絶対の真理だと思っている人もいる。その場合は本人にとってはあえて言語化すれば「自分の形而上学的立場」と表現されるようなものとなる。ただし、その場合は第三者から見ればラカトシュの言うところのハードコアに相当することになる。一方、この考え方が正しい可能性もあり間違っている可能性もあり、証拠や理論的な検証によってそれは決定すべき、と科学的姿勢を厳密に保ちつづけている人にとっては、この "考え" はひとつの仮説として意識に存在している。このように人それぞれ、様々な場合があるので、定義文ではとりあえず"考え方"という曖昧な表現で定式化しているのである。