森本晃司
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森本 晃司(もりもと こうじ、1942年2月24日 - )は、奈良県出身の日本の政治家、衆議院議員。関西大学法学部卒業。1983年12月の衆院選に奈良県全区に公明党から出馬し当選(衆4回、参院1回)
[編集] 人物
1993年4月、衆議院議院運営委員会理事に就任し7月の衆院選で公明党は復調した。直後に、55年体制が崩壊し、自由民主党からの政権交代が実現し、8月には細川護熙が首班となった連立内閣が発足。神崎武法国会対策委員長が郵政大臣に就任する為に後任の国会対策委員長に就任し、自民党の小里貞利国会対策委員長とパイプを持つ自民党の野中広務、亀井静香に衆議院予算委員会で公明党・創価学会が政教一体ではないかと批判を受け、自民党に抗議する。
1994年4月、細川首相の辞任で羽田連立内閣の建設大臣に就任するも6月に自民党、日本社会党、新党さきがけによるの村山連立内閣の発足で政権交代となった。12月公明分党で新進党に参加し党内で国対族として辣腕を発揮する。
1995年12月、小沢一郎党首の誕生で西岡武夫国会対策委員長の下で国会対策委員長代理に就任。
1996年1月、橋本連立内閣の発足で自民新進両党の対立と緊張が走る。3月には住専処理法案を巡り紛糾した。参議院議員や所属議員秘書を動員したピケ戦術(その中で鯨岡兵輔衆議院副議長(自民党)と押し問答場面)が大きく報道された。
また、この住専国会の最中に自民党の加藤紘一幹事長の裏金疑惑を追及すると、与党側から支持母体の創価学会の池田大作名誉会長を証人喚問せよと応酬された際に、自民党の伊吹文明、小里貞利らに詰め寄り抗議した。結局、加藤幹事長と創価学会の秋谷栄之助会長の参考人招致で収まった。
10月の衆院選で奈良3区に新進党から出馬し自民党奥野誠亮議員と争い落選した。
1998年7月、参院選比例区に公明から鞍替え出馬し当選した。11月衆参統一の公明党に参加し公明新聞などの機関紙局長に就任。
2002年9月、鶴岡洋参議院議員会長の退任で草川昭三が副代表兼参議院議員会長に就任した事で白浜一良と共に参議院議員副会長に就任。
2004年5月、年金国会で年金未納が発覚し参議院議員副会長を辞任し6月任期満了と同時に政界引退した。
引退後は、飛鳥京観光協会でボランティアガイドとして活躍。県立大では、客員教授として教壇に立ち、観光学を教えている。
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