棚倉城
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棚倉城 (福島県) |
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棚倉城跡空撮 |
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通称 | 亀ケ城 |
城郭構造 | 梯郭輪郭複合式平城 |
天守構造 | 建造されず |
築城主 | 丹羽長重 |
築城年 | 1625年(寛永2年) |
主な城主 | 丹羽氏、内藤氏、阿部氏ほか |
廃城年 | 1868年(慶応4年) |
遺構 | 土塁、堀、移築現存門 |
指定文化財 | なし |
再建造物 | なし |
位置 | 北緯37度1分46.89秒 東経140度23分8.29秒 |
棚倉城(たなくらじょう)は、福島県東白川郡棚倉町にある城。別名、亀ケ城。1625年(寛永2年)に丹羽長重によって築城された。棚倉藩の藩庁が置かれた。
目次 |
[編集] 歴史
立花宗茂の後を受けて1620年(元和6年)棚倉藩に5万石で入封した丹羽長重は、それまでの山地の城を避け、棚倉盆地の中央にあった都都古別神社を遷宮しその跡地に江戸幕府の許可を得て棚倉城を1625年(寛永2年)に築城した。
丹羽氏は後に白河藩に移封され、諸大名の転封を繰り返した後、最終的には1866年(慶応2年)に阿部正静が6万石で入封した。棚倉藩は奥羽越列藩同盟に加盟したため、1868年(慶応4年)に勃発した戊辰戦争で板垣退助の率いる官軍800名の攻撃を受け6月24日にわずか1日で落城した。
[編集] 構造
城は本丸・二の丸・三の丸からなる平城だった。石垣はほとんどなく、土塁と空堀が設けられていた。面積は約73,000平方メートル。
[編集] 遺構等
跡地の公園に本丸の堀、土塁、石垣が写真のようにきれいに残存する。
この他、移築建造物として、町内長久寺山門として用いられている南門がある。
[編集] 観光
[編集] アクセス
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 福島市の中世城館Ⅲ(福島市教育委員会)
- 『日本の名城・古城』井上宗和、角川文庫 1985年