梅小路家
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梅小路家(うめがこうじけ)は、藤原北家高藤(勧修寺)流清閑寺家庶流の堂上家、家格は名家。
家紋は竹に雀、菩提所は報恩寺、居所は院参町とした。内大臣・清閑寺共房の三男清閑寺定矩が「梅小路」を称したのに始まる。梅小路とは、現在の京都市下京区梅小路周辺の地名に由来するとされる。
初代・権大納言梅小路定矩以降、江戸時代の石高は、蔵米50石であったが、明治に至り華族に列し子爵に叙せられた。
[編集] 歴代当主
- 梅小路定矩 (1619 - 1680)
- 梅小路共方 (1653 - 1727)
- 梅小路共慶 (1682 - )
- 梅小路定喬 (1690 - 1727)
- 梅小路共経 (1726 - 1745)
- 梅小路定福 (1743 - 1813)
- 梅小路共之 (1770 - 1786)
- 梅小路定肖 (1777 - 1837)
- 梅小路共久 (1804 - 1825)
- 梅小路定徳 (1812 - 1847)
- 梅小路定輯 (1837 - 1855)
- 梅小路定明 (1846 - 1868)