桐山襲
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桐山 襲(きりやま かさね、1949年7月 - 1992年3月22日)は、東京都杉並区出身の小説家である。本名は、古屋 和男(ふるや かずお)。1983年に『パルチザン伝説』でデビューする。死去するまでの8年半の短い活動期間の中で様々な問題作を発表した。
新左翼の学生運動、連合赤軍、全学共闘会議等を主題にした純文学で大学紛争に参加した若者達の青春や無残な敗北を描き、幻想に終わった革命の意義を一貫して問い続けた。竹田青嗣、川村湊から高く評価された。
目次 |
[編集] 来歴
日大付属第二中、同第二高(日本大学第二中学・高等学校)を経て1968年に早稲田大学第一文学部哲学科に入学する。在学中は新左翼の学生運動に参加。1972年に早大を卒業して東京都教育庁に就職する。三里塚紛争に参加した。
1982年に左翼による昭和天皇へのテロ計画を描いた『パルチザン伝説』が第19回文藝賞の候補になる。1983年に同作が『文藝』10月号に掲載されてデビューした。直後、『週刊新潮』が強く批判する記事を載せ、『文藝』を発行する河出書房新社に右翼団体の車が大挙して来襲し激しく抗議された(菊タブー)。桐山の身の安全を守るため沖縄県で逃亡中と虚偽の情報が流された。1984年3月には第三書館が、桐山の許可を取らずに勝手に同作を収録した『天皇アンソロジー1』を出版してしまった。後に桐山は、『「パルチザン伝説」事件』で「日本で一、二を争う文芸出版社」である新潮社が、「文芸作品を圧殺するような煽動」や「検閲」を行ったのだと述べている。
1984年6月に『スターバト・マーテル』を発表。連合赤軍のテロ事件やリンチ事件を複数の語り部を通して複数の視点から描いた。第91回芥川龍之介賞の候補になる。
1984年11月に『風のクロニクル』を発表。書簡体小説の中に戯曲を混入させる凝った手法で早大の全学共闘会議を描いた。1985年に第92回芥川賞、第7回野間文芸新人賞の候補になる。
1990年に、日本文芸家協会への入会を拒否された永山則夫を強く支持する批評を発表する。同年12月に悪性リンパ腫を発病し日本医科大学付属第一病院に入院する。抗癌剤の副作用で頭髪と眉毛が抜ける。
1991年8月に退院し、癌の闘病の果てに若くして病死した人の葬儀を描いた『未葬の時』の執筆を開始する。同年10月に再び入院し病床で執筆を続け、1992年2月に同作を完成させた。同年3月22日に肺炎を併発して入院先の日医大第一病院で42歳で死去する。
[編集] 著書
[編集] 単著
- 『パルチザン伝説』1984年。
- 『風のクロニクル』1985年。
- 『戯曲風のクロニクル』1985年。
- 『スターバト・マーテル』1986年。
- 『聖なる夜聖なる穴』1987年。
- 『「パルチザン伝説」事件』1987年。
- 『亜熱帯の涙』1988年。
- 『都市叙景断章』1989年。
- 『神殿レプリカ』1991年。
- 『未葬の時』1994年。
[編集] 編著
- 『国鉄を殺すな 国鉄労働者は発言する』1986年。
[編集] 参考文献
- 富岡幸一郎『作家との一時間』1990年。1989年6月の富岡のインタビュー『桐山襲と「都市叙景断章」』を収録。
- 文学時標社編纂『異議あり!現代文学』1991年。インタビュー『文学のテーマとしての政治』を収録。