松波正信
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松波正信 | ||
---|---|---|
名前 | ||
愛称 | ミスター・ガンバ | |
カタカナ | マツナミ マサノブ | |
ラテン文字 | MATSUNAMI Masanobu | |
基本情報 | ||
国籍 | 日本 | |
生年月日 | 1974年11月21日(33歳) | |
出身地 | 岐阜県岐阜市 | |
身長 | 180cm | |
体重 | 76kg | |
血液型 | B型 | |
選手情報 | ||
ポジション | FW | |
利き足 | 右足
|
|
松波 正信(まつなみ まさのぶ、1974年11月21日-)は、岐阜県岐阜市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはフォワード。
目次 |
[編集] 来歴・人物
帝京高校時代に全国高校サッカーで同校を優勝に導いた大型ストライカーとして注目を集めた。卒業後の1993年にJリーグ・ガンバ大阪に入団。初年度から出場機会を掴みリーグ戦29試合出場7得点を記録した。以後、成績面では期待通りの活躍とまでいかなかったものの、年を追うごとにチーム内で強烈な存在感を見せ、“ミスター・ガンバ”として親しまれた。
2005年シーズン限りで現役を引退。ガンバ大阪ユースのコーチを経て2008年はユース監督に昇格している。
[編集] 所属クラブ
[編集] 個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1993 | G大阪 | - | J | 29 | 7 | 4 | 1 | 1 | 2 | 34 | 10 |
1994 | G大阪 | - | J | 21 | 4 | 0 | 0 | 4 | 0 | 25 | 4 |
1995 | G大阪 | - | J | 15 | 0 | - | 4 | 0 | 19 | 0 | |
1996 | G大阪 | - | J | 20 | 5 | 12 | 3 | 4 | 2 | 36 | 10 |
1997 | G大阪 | 11 | J | 32 | 13 | 6 | 1 | 3 | 0 | 41 | 14 |
1998 | G大阪 | 11 | J | 25 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 27 | 1 |
1999 | G大阪 | 24 | J1 | 23 | 5 | 4 | 0 | 0 | 0 | 27 | 5 |
2000 | G大阪 | 24 | J1 | 29 | 4 | 4 | 2 | 4 | 0 | 37 | 6 |
2001 | G大阪 | 24 | J1 | 26 | 1 | 4 | 4 | 3 | 1 | 33 | 6 |
2002 | G大阪 | 11 | J1 | 23 | 5 | 6 | 0 | 1 | 0 | 30 | 5 |
2003 | G大阪 | 11 | J1 | 17 | 0 | 4 | 1 | 2 | 1 | 23 | 2 |
2004 | G大阪 | 11 | J1 | 9 | 0 | 2 | 0 | 1 | 1 | 12 | 1 |
2005 | G大阪 | 11 | J1 | 11 | 0 | 5 | 2 | 2 | 1 | 18 | 3 |
通算 | 日本 | J1 | 280 | 45 | 53 | 14 | 25 | 8 | 358 | 67 | |
総通算 | 280 | 45 | 53 | 14 | 25 | 8 | 358 | 67 |
[編集] 指導歴
- 2006年- ガンバ大阪:ユースコーチ
- 2008年- ガンバ大阪:ユース監督
[編集] エピソード
- 関西に全く縁も無いと言っていい松波がガンバを選んだ理由は、帝京高校の先輩で当時ガンバに在籍していた礒貝洋光を慕ってである。
- 1993年11月20日、NICOSシリーズ第14節ジェフユナイテッド市原戦(市原緑地運動公園臨海競技場)で当時高卒ルーキーだった松波はハットトリックを達成した。18歳と364日でのハットトリック達成は現在も破られていないJリーグ最年少記録である。
- 1997-1998年モデルのユニフォーム(スタンドカラーが特徴)が気に入ったのか、エリック・カントナに肖ってかは定かでないが、ユニフォームの襟を立てて着るのがトレードマークとなっていた。ユニフォームの襟がなくなった2003年以降は特製の襟付きアンダーシャツを着用し、審判団に睨まれつつもそのスタイルを守り通した。
- デビット伊東に似ていると言われた。
- かつて自身のホームページ上に「俳句道場」というコーナーを持っており、ファンからの秀逸な俳句(川柳?)を掲載していた。最終回では、全投稿分をコメントつきで掲載した。
- 座右の銘は「目には目を、歯には歯を」である。