松平頼策
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松平 頼策(まつだいら よりふみ、嘉永元年9月3日(1848年9月29日) - 明治20年(1887年)9月10日)は、江戸時代の人物。常陸府中藩の第10代(最後)の藩主。第9代藩主・松平頼縄の三男。正室は松平頼胤の娘、継室は松平頼升の娘。子に松平頼孝(長男)、松平頼忠(次男)。官位は従四位下、播磨守。
嘉永元年(1848年)9月3日生まれ。幼名は勇次郎。明治元年(1868年)12月3日、父の隠居により後を継ぐ。明治2年(1869年)の版籍奉還で藩知事となり、このときに藩名を石岡藩と改称した。明治4年(1871年)の廃藩置県で免官となる。明治17年(1884年)には子爵となった。明治20年(1887年)9月10日、40歳で死去。墓所:茨城県常陸太田市の瑞竜山。
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