松平頼永
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松平 頼永(まつだいら よりなが、正徳3年11月27日(1714年1月13日) - 享保20年8月25日(1735年10月11日))は、江戸時代の大名。常陸府中藩の第4代藩主。第3代藩主・松平頼明の長男。母は林氏。正室は磐城平藩藩主・内藤政樹の妹で、内藤義英の娘・菊姫。任官叙位前は、織部を称する。
正徳3年(1713年)11月27日生まれ。享保18年(1733年)、父の死去により後を継いで藩主となる。しかし2年後の享保20年(1735年)8月25日に23歳で死去。嗣子がなく、後を異母弟の松平頼幸が継いだ。
[編集] 経歴
※日付=旧暦
- 1731年(享保16年)12月23日、従四位下掃部頭に叙任。
- 1733年(享保18年)10月、家督相続し、常陸国府中藩(茨城県石岡市)藩主を継承する。 10月28日、播磨守に転任。 12月28日、侍従兼任。
- 1735年(享保20年)8月25日、卒去。 法名:不退院正譽定嶽聚禪 諡号:源哀 墓所:茨城県常陸太田市の瑞龍山
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