松平家清
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松平 家清(まつだいら いえきよ、永禄9年(1566年) - 慶長15年12月21日(1611年2月3日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将(大名)。徳川氏の家臣。松平清宗の子。母は深溝松平家好景の娘。正室は久松俊勝の娘で家康の異父妹・天桂院。娘は浅野長重、本多康紀、松平忠利に嫁いでいる。
[編集] 経歴
竹谷松平家の武将として徳川家康に仕え、元服のとき、家康から『家』の一字を拝領して家清と名乗った。天正18年(1590年)、家康が関東に移封されたとき、それまでの功を賞されて武蔵国八幡山に1万石の所領を与えられた。この国替えの途上で正室・天桂院が産気づいて女児を出産したものの、間も無く亡くなっている。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いのときは尾張国清洲城の守備を務めた。戦後、その功績を家康から賞されて、三河国吉田に3万石の所領を与えられ、吉田藩の初代藩主となった。
慶長15年(1610年)12月21日に45歳で死去し、後を嫡男の忠清が継いだ。
法号:葉雲全霜清宝院。墓所:愛知県蒲郡市の全栄寺(後に龍台山天桂院と改称される)。
|
|
|