有馬頼次
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有馬 頼次(ありま よりつぐ、慶長16年(1611年) - 慶安2年3月9日(1649年4月20日))は、江戸時代前期の武士。有馬豊氏の三男(信堅を入れず次男とも)。兄弟に忠頼、信堅、小出吉重室。
頼次は分家し徳川忠長に仕え、1万石を領する。しかし忠長が改易されると、父の豊氏に預けられ、そのまま没した。
頼次の跡を継いだ外孫の有馬吉政以降は代々紀州徳川家に仕えることとなった。有馬氏倫の時に将軍となった徳川吉宗に側衆として仕え、後に伊勢、上総、下野国内に領地を授かり、享保12年(1727年)には伊勢西条藩1万石の譜代大名に昇格した。