最後通牒
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最後通牒(さいごつうちょう, Ultimatum)あるいは最後通告(さいごつうこく)とは、
- 外交文書の一つで、国際交渉において最終的な要求を提示し、それを相手国が受け入れなければ平和的な交渉を打ち切る意思を表明すること。多くの場合、相手が受け入れない場合は戦争などの実力行使を行うことを宣言するものとなる。本項目ではこちらを扱う。
- 交渉決裂も辞さない態度で、相手に最終要求を一方的に示すこと。
[編集] 概要
戦時国際法上、期限を定めた最後通牒はその期限を過ぎた時、期限を定めない最後通牒は即時の宣戦布告と見做されるというのが通説である。日露戦争開戦時(1904年2月8日)は日本が宣戦布告なしにロシアに攻撃を行ったことが問題とされたが、その2日前の2月6日に期限を定めない最後通牒が手交されていた為、アメリカを含めた中立国の間では問題ないとされた。
しかし、このことは、第二次世界大戦の開戦時には真珠湾攻撃(こちらは本当に宣戦前の攻撃であったが)と絡めて、「日本は常に宣戦布告をせず、だまし討ちをする国である」と反日宣伝の材料に使われた(ただし日本人の史家にもこの論法を用いる者が少なくないため、反日宣伝だけとは言い切れない)。
第一次世界大戦直前のオーストリア最後通牒や、イラク戦争直前のアメリカ合衆国による最後通牒など、とうてい相手が受け入れられない要求を突き付け、開戦の口実とするケースがほとんどである。
[編集] 具体例
- 第一次世界大戦直前のオーストリア・ハンガリー帝国の対セルビア王国最後通牒(セルビア首相の謝罪・セルビア国内の反オーストリア運動の掃討を要求)
- 第一次世界大戦時のイギリスの対ドイツ帝国最後通牒(ドイツ軍のベルギーからの撤退を要求)
- 第二次世界大戦時イギリスの対ナチス・ドイツ最後通牒(ドイツ軍のポーランドからの撤退を要求)
- イラク戦争直前のアメリカの対イラク最後通牒(サダム・フセイン及びその一族の国外退去を要求)
- 2006年の竹島問題において大韓民国の潘基文外交通商相(当時)が日本との外交交渉に当たって、日本に対して突きつけると宣言した空鉄砲。