春風亭柳枝
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春風亭 柳枝(しゅんぷうてい りゅうし)は、落語家の名跡。江戸落語柳派の由緒ある名。現在まで50年にわたって空位。
- 初代春風亭柳枝 - 幼名、亀吉。
- 2代目春風亭柳枝 - 本名不詳。
- 3代目春風亭柳枝 - 通称「蔵前の柳枝」「蔵前の大虎」。柳派頭取。本名、鈴木文吉。
- 4代目春風亭柳枝(初代春風亭華柳) - 通称「牛込の柳枝」「鼠(ねずみ)の殿様」。睦会創設者、初代会長。本名、飯森和平。(下記参照)
- 5代目春風亭柳枝 - 存在しない
- 6代目春風亭柳枝 - 通称「ゴミ六の柳枝」「横浜の柳枝」。本名、松田幸太郎。(下記参照)
- (大立者・五代目柳亭左楽は単に「五代目」が通り名だった。5代目柳枝になるはずのゴミ六が「同じ5代目では恐れ多い」と代数を1つ飛ばし、6代目を名乗った)
- 7代目春風亭柳枝 - 通称「エヘヘの柳枝」。5代目柳亭左楽門人。本名、渡辺金太郎。
- 8代目春風亭柳枝 - 通称「お結構の勝っちゃん」。4代目柳枝門人。本名、島田勝巳。
4代目が睦会を結成し、7代目まで睦会の名跡であった。4代目はもう一つ「春風亭小柳枝」という名跡も作り、柳枝の一つ手前の出世名としてきた。ところが小柳枝の名跡をめぐり日本芸術協会と睦会が対立した。日本芸術協会が勝利し、小柳枝の名跡を確保した。反面、柳枝の名跡は獲得できず、最後は落語協会に流出させた(1943年に落語協会で8代目襲名)。
最後の8代目が亡くなってから50年近くになる。8代目は落語協会の名跡となっていること、および、現在は柳枝と名前の読みが同じである立川龍志(たてかわ りゅうし)が他協会にいるため、柳枝を新しく襲名する者はしばらく現れないと思われる。
1921年3月、睦会「三柳の改名」 師弟トリプル襲名
- 師匠 初代春風亭華柳←4代目春風亭柳枝
- 兄弟子 6代目春風亭柳枝←3代目春風亭小柳枝
- 弟弟子 4代目春風亭小柳枝←6代目春風亭柏枝(後の6代目春風亭柳橋)
- (注:このとき、春風亭柳枝の5代目をあえて欠番とした)
また、上方には桂柳枝(かつら りゅうし)、漫才師に三遊亭柳枝(さんゆうてい りゅうし)がいるが、全く無関係。