早稲田大学グリークラブ
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早稲田大学グリークラブ(わせだだいがくグリークラブ)は、早稲田大学の学生によって構成された男声合唱団。現在の早稲田大学総長である白井克彦や、コーラスグループ「ボニージャックス」をはじめ、数々の有名OBを輩出している。
日本、海外のオリジナル男声合唱曲はもちろんのこと、学歌から民謡、ポピュラー音楽まで幅広く歌い、高い評価を受けている。かつては磯部俶や福永陽一郎の下で指導を受けていた時期があったが、現在は常任の指揮者はおらず、演奏会のたびに客演指揮者を迎えて演奏している。
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[編集] 概要
年4回の定期演奏会(東京六大学合唱連盟定期演奏会、東西四大学合唱演奏会、定期演奏会、送別演奏会)が活動の中心であるが、外部団体や稲門会(早稲田大学OB会)からの依頼を受けて日本各地で演奏会をすることも多い。録音、および企業やテレビ局からの依頼も少なくない。また約4年に一度、海外演奏旅行が行われる。
[編集] 沿革
- 1903年 「声楽部」と「器楽部」からなる早稲田音楽会(早稲田大学グリークラブの前身)が設置される。
- 1907年 早稲田大学が創立25周年をむかえ、校歌「都の西北」が制定される。作曲者の東儀鉄笛が声楽会副会長だったこともあり、声楽会員が最初にこれを歌った。その後、彼らが中心となって歌唱指導を行い、25周年祝賀会では全学生が高らかに歌い提灯行列を行った。また第一回定期演奏会が実現した年でもあり、早稲田大学グリークラブの起源はこの年とされる。
- 1932年 早稲田大学創立50周年記念音楽合同演奏会が執り行われる。
- 1935年 早稲田大学合唱部と呼ばれるようになる。
- 1938年 早稲田大学合唱団と改称。
- 1945年 終戦直後の混乱のなか、11月には残った学生で練習を再開。
- 1946年 この頃からグリークラブと名乗り始める。
- 1949年 グリーに所属していた関屋晋が、早稲田大学コール・フリューゲルを設立し、独立。
- 1975年 ショスタコーヴィチ「交響曲第13番」日本初演の合唱を担当。
- 2003年 フォンテックより、グリー単独のアルバム『Natus in curas』をリリース。
- 2007年 早稲田大学創立125周年、早稲田大学グリークラブ創立100周年。小田和正に「創立100周年記念愛唱歌」を委嘱。
[編集] コンサート
主な演奏会は以下の通り。
- 東京六大学合唱連盟定期演奏会
- 東西四大学合唱演奏会(隔年で、東京と関西で交互に開催)
- 早慶交歓演奏会(東西四連の関西開催年のみ)
- 定期演奏会
- 送別演奏会
[編集] 主な初演作品
- 石井歓 曠野をゆく/五つの学生の歌(東京混声合唱団男声部と合同)/明日への足音/枯木と太陽の歌(ドイツ語版。オリジナルの日本語版は東京男声合唱団による)
- 石田一郎 點鐘鳴るところ
- 石丸寛 スペインの歌(編曲)
- 入野義朗 「富士山」による5つの男声合唱
- 上田真樹 稲風
- 荻久保和明 炎える母/縄文(男声版)/季節へのまなざし(男声版)/縄文ラプソディー/黙示録・縄文
- 小倉朗 東北地方の民謡による七つの男声合唱曲
- 小田和正 この道を行く
- 佐藤眞 若人のうた(男声版)
- 清水脩 富士山の詩
- 菅野浩和 三つの子供の歌/きつねとかわうそ
- 鈴木輝昭 ハレー彗星独白
- 髙嶋みどり 青いメッセージ
- 髙田三郎 北国の歌/「春」「風」「梢」(後、全5曲の組曲「季節と足跡」に収録。残り2曲の初演は燈火会合唱団による)
- 多田武彦 北斗の海
- 寺嶋陸也 水と影 影と水
- 信長貴富 饗宴の歌(慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団との合同)/カウボーイ・ポップ(男声版)
- 萩原英彦 祝歌・悲歌・恋歌
- 三善晃 三つの時刻
- リヒャルト・シュトラウス Die Tageszeiten(管弦楽伴奏版日本初演)
- ヨナス・タムリオニス(Jonas Tamulionis, リトアニア) Natus in Curas Op.283(苦難の中の御子)