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日興 - Wikipedia

日興

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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日興にっこう寛元4年3月8日1246年3月26日) - 元弘3年/正慶2年2月7日1333年2月21日))は、日蓮の弟子で、日蓮六老僧の一人。日蓮正宗など富士門流では、日蓮の唯一の正統な後継者と見なされている。白蓮阿闍梨と称される。

目次

[編集] 略歴

  • 1246年寛元4年)3月8日、甲斐国大井庄鰍沢(山梨県鰍沢町)で生まれる。
  • 1258年正嘉2年)、富士岩本の実相寺へ入室。名を伯耆房と賜わる。2月、日蓮が「立正安国論」の執筆に際し大蔵経を閲覧するため岩本の実相寺へ入った折、弟子となった。
  • 1261年弘長元年)5月12日、日蓮が伊豆に配流(伊豆流罪)され、日興が同行して常随給仕をした。また伊豆宇佐美・吉田の地を弘教した。
  • 1262年(弘長2年)、熱海真言僧金剛院行満が、日興の折伏により改衣して日行と名乗り自坊を大乗寺と号した(日興上人詳伝)。
  • 1271年文永8年)10月10日、日蓮が相模依智本間邸を発し佐渡に向かい(佐渡流罪)、日興が同行して常随給仕をした。
  • 1274年(文永11年)、佐渡一ノ谷を出発し、日蓮と身延山に入る。甲斐、駿河で布教をした。このころ日目、はじめて日興に謁す。
  • 1275年建治元年)、1月下旬、南条家に到り故兵衛七郎行増の墓に代参し富士下方を弘教した。日興の教化により駿河熱原滝泉寺寺家下野房日秀・越後房日弁・少輔房日禅・三河房頼円及び在家若干帰伏して弟子となった。日興及び日向・覚乗房富士加島高橋家に在りて弘教した
  • 1276年(建治2年)4月8日、日目、伊豆走湯山円蔵坊において日興により得度。
  • 1279年弘安2年)、1月、興津時業、日興書写の法華経一部を請く。9月20日、日蓮、書を日興に与う。10月12日、日蓮、書を日興のほか、日秀・日弁等に報じ滝泉寺申状草案を与う。10月15日、日興等、鎌倉より日蓮に法難の状を急報する。10月17日、日蓮、書を日興はじめ日秀・日弁等に報ず。三大秘法口決を記す。日興に文永11年12月の本尊〔万年救護本尊〕を与える。
  • 1280年(弘安3年)1月11日、日蓮より法華本門宗血脈相承〔百六箇抄〕を相伝す。2月、日興、遠江の新池家に在り。
  • 1281年(弘安4年)、日興、園城寺申状を代奏す〔初度天奏〕。
  • 1282年(弘安5年)9月、日蓮は「日蓮一期弘法付嘱書」(身延相承)をもって日興を本門弘通の大導師と定め、10月13日、「身延山付嘱書」(池上相承)をもって身延山久遠寺の別当職(貫主)と定めて死去したとされる(日蓮正宗など富士門流の見解)。日蓮が「日蓮一期弘法付嘱書」(身延相承)と「身延山付嘱書」(池上相承)をもって日興に付嘱されたため、両書をあわせて「二箇相承」という。ただし二箇相承は後世の偽書だとする指摘がある。

この後、日蓮の命日に鎌倉方の五老僧(日昭日朗日向日頂日持)は参列せず、日興と弟子らにより日蓮の墓所が守護した。

その後、民部日向(にこう)が学頭職についたものの教義を逸脱、さらに身延の地頭波木井実長が影響され指導に従わなくなったとして、日興は一切の宝物を携えて身延の山を降りた〔身延山離山〕。

  • 1288年正応元年)12月16日、身延山久遠寺を出立、越前房の私坊に逗留する。
  • 1289年(正応2年)6月5日、富士河合の由比入道の家に逗留する。しばらくして駿河国上野郷の南条時光の館(現在の下之坊)に逗留する。
  • 1290年(正応3年)10月、南条時光の寄進により大石寺が建立し、弟子らにより宿坊が建立した。数年後に重須談所(大石寺近郊、現在の北山本門寺)に移った。日興は日目に内々に法を付し、大石寺学頭として、第三祖日目が一門の統率をした。
  • 1333年正慶2年)1月13日、二十六箇条の「日興遺戒置文」をもって将来の指針を示し、2月7日、88歳をもって死去。

[編集] 本六

本六(ほんろく)とは、日興の本弟子6人のことである。1298年永仁6年)の『弟子分本尊目録』に日興第一の弟子として6人記載されている。

[編集] 新六

新六(しんろく)とは、日興は重須談所にて弟子の育成に努めたが、日興の晩年には本六も高齢となり新たに6人の高弟を定め、最初の高弟と区別するため新六と呼ばれた。

[編集] 著書

  • 「宗祖御遷化記録」
  • 「弟子分本尊目録」
  • 「遺戒置文」
  • 「佐渡国法華講衆御返事」
  • 「富士一跡門徒存知事」
  • 「五人所破抄」など

本尊は全部で300体ほど書写したといわれている。

[編集] 日蓮六老僧

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク


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