日本煉瓦製造
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日本煉瓦製造(にほんれんがせいぞう)は、かつて煉瓦を製造していた日本の株式会社である。
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[編集] 沿革
1886年に明治政府は臨時建築局を設置し、ドイツ人建築家のヴィルヘルム・ベックマンとヘルマン・エンデをお雇い外国人として日本に招いた。彼らは都市整備のために良質な煉瓦、ならびにそれを製造する工場が必要であることを明治政府に進言した。これにより、1887年(明治20年)10月、渋沢栄一らによって日本煉瓦製造が設立され、同工場が埼玉県榛沢郡上敷免村(現在の深谷市上敷免)に建設された。
2006年6月29日、日本煉瓦製造は株主総会において、自主廃業することが決定された。
[編集] 専用鉄道
日本煉瓦製造で製造された煉瓦は、当初は利根川を利用して運んでいたが、輸送力向上を目的として、1895年に日本鉄道の深谷駅から工場までの約4.2kmにわたって鉄道が敷かれた。本路線は1975年に廃線となり、現在は線路が撤去され、歩行者と自転車が通れる遊歩道「あかね通り」になっている。近くにあるブリッジパークには、この路線で使用されていた福川鉄橋が保存されている。
[編集] 日本煉瓦製造の煉瓦を用いた主な建築物
日本煉瓦製造の製造した煉瓦を使用して建設された主な建築物には、以下のものがある。
[編集] 文化財
日本煉瓦製造の工場ならびに関連施設には、文化財に指定されているものがある。
- 重要文化財(国指定)
- 日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設
- 会社旧事務所 - 木造平屋建、瓦葺、1888年頃の建設(現在は日本煉瓦史料館として使われている)
- 旧変電室 - 煉瓦造
- ホフマン輪窯六号窯 - 長さ56.5m、幅20m
- 備前渠鉄橋
- 深谷市指定文化財
- 福川鉄橋
[編集] その他
JR東日本深谷駅の駅舎は、同工場で製造された煉瓦が東京駅で使用されたことに因み、同駅を模した形となっている。