日本人初!宇宙へ
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日本人初!宇宙へ | |
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ジャンル | |
放送時間 | |
放送期間 | 1990年12月 |
放送国 | 日本 |
制作局 | TBS |
出演者 | 宇宙特派員 秋山豊寛 地上側 菊地涼子 …他 |
日本人初!宇宙へ(にほんじんはつ うちゅうへ)は、1990年のTBSの番組(テレビ・ラジオ)。
目次 |
[編集] 概要
TBSは、創立40周年事業として、1990年(平成2年)、秋山豊寛特派員(「宇宙特派員」)を乗せた宇宙船ソユーズをソ連(当時)・カザフのバイコヌール宇宙基地から打ち上げた。 この様子を、「TBS宇宙プロジェクト『日本人初!宇宙へ』」と題し、打ち上げから、宇宙ステーションミール滞在を経て、地球帰還までの間 連日放送した。 打ち上げ 及び 帰還時は、長時間にわたる特別番組を組み、全て生放送で模様を伝えた(打ち上げ時の視聴率は36%)。
[編集] 経緯
1989年に、TBSが日本人宇宙飛行士搭乗に関する協定をソビエト連邦宇宙総局と調印したことにより、社内選考の後、1990年12月2日、ソ連のバイコヌール宇宙基地よりソユーズTM-11に乗って秋山は宇宙へ飛び立ち、日本人初、またジャーナリスト初の宇宙飛行士(宇宙特派員)となった。
[編集] エピソード
秋山が、ソユーズTM-11が周回軌道にのった後、生中継で、東京のスタジオからの呼びかけに対して、「これ、本番ですか?」という第一声を発したことはよく知られている。尚、帰還後 上梓した著書の中で、第一声は「宇宙は混沌としています」と発しようと考えていたが、実は 宇宙は混沌とはしておらず、生中継に備えてツープ(ソ連宇宙飛行管制センター)と交信中に割り込んできた形となった東京からの呼びかけに思わず反応した「これ、本番ですか?」は、放送人としてはもっともらしい第一声だったのではないだろうか、と振り返っている。
ミールとドッキングすると、秋山は乗組員兼ジャーナリストとして宇宙生活をリポートした。宇宙実験では、日本から持ち込んだカエルを無重力環境に置くとどうなるか、扇子で扇いで移動できるかといったことや、また自らが被験者となり睡眠実験などの試みがなされた。宇宙酔いに襲われ食事がままならなかったことや、顔がパンパンにむくんだ状態なども報告した。
9日間に渡る宇宙生活を終え、 同年12月10日に、先にミールとドッキングしていたソユーズTM-10で、カザフスタンのアルカリクに着陸、無事 帰還した。
尚、打ち上げ後、ドッキングに向けて一定の距離を保ってランデブー飛行しながら徐々にミールに接近する過程にある秋山搭乗のソユーズを、日本各地で肉眼で見ることができた。ちょうど日没直後の時間帯で、軌道上で太陽光を受けて光って見えるミールとソユーズが日本上空を通過することから、地上から見ることができた、というものである。
[編集] テーマソング
- SAVE OUR SHIP (作詞・作曲 : 松任谷由実)
- 魂を船になぞらえたスケールの大きい歌詞と激しく上下するメロディが特徴的。曲前後の交信SEやクラシック風の間奏など、随所に趣向を凝らしたアレンジが施されている。TBS系「ロシアの風・宇宙の風・ユーミン」(この打ち上げを取材した紀行番組)テーマソングであり、同宇宙プロジェクトのテーマソングとなった。尚、松任谷は、バイコヌール宇宙基地や「星の街」(訓練センター等がある場所)を訪れている。アルバム「天国のドア」に収録。
[編集] 関連項目
- 菊地涼子 - 秋山の代替要員として一緒に訓練を受けた。打ち上げ前の最終チェックで問題は無かったが、打ち上げ直前に虫垂炎になり、バックアップ要員のいなくなった秋山がかなりのストレスをためてしまった、というエピソードがある。幸い手術が成功し、術後の経過も良好だったことから、地上でソユーズとミールに関するコメンテーターの役割を担った。元TBSカメラマン・ディレクター。
- とんねるずのみなさんのおかげです - 番組内で、パロディとして「日本人また!宇宙へ」というコントを演じていた。もちろん宇宙には行っていない。
[編集] TBS宇宙プロジェクト・スポンサー
[編集] 外部リンク
- TBSのあゆみ - 当該番組の記述あり